2008年04月04日
taxi?

黄昏時にまたいつもの南海岸線をゆっくりとオート三輪を走らせる。
島の中ではやはり珍しく目立つのか、釣りの帰りに自転車に乗った子供には追いかけられ、子連れの親子には道ばたから手を振られる。
恥ずかしくもあり、嬉しくもあり、照れながら運転していると、すぐに4ストロークに乗せ替えたエンジンは低速になると車体全体を揺るがし、シフトアップをせがんでくる。
そうこうしていると、来間大橋を渡り、竜宮展望台にたどり着いた。
車より少し離れた公園のベンチで一息ついていたら、老夫婦が懐かしそうに車に近寄り微笑んでいた。そして携帯のメールでおじぃがおばぁの写真を車と一緒に撮っていた。
近寄って「おじぃ、おばぁ、後ろに乗ってみる?」って聞くと目を輝かして「乗りたいけど、夕食に戻らないといけない。今度乗せてね~絶対」って言って手を振って仲良く帰って行った。
昔まだ幼い頃、ダイハツのミゼットというオート三輪がまだ公道を走っていた。
自分も幼いなりに、出会う機会が極端に少ない車に、既にノスタルジックな気持ちを抱き、もうこの三輪車はもう少しで道路から見られなくなるんだろうなぁって思っていた。
家路の途中、インギャーの入り江近くの東屋でおじぃ達と話を30分程した。
自分はおじぃやおばぁ達が大好きだ。
釣りをしてたり、散歩していたりすると、知らない人でも長話になってしまう。
真っ黒に日焼けして、土で汚れた作業着で汗を拭きながら、屈託の無い笑みを顔に着ている彼らの話す、これまで培ってきた生活の豊富な知恵にはいつも感動せざるを得ない。そして素朴で飾りっ気のない優しさにはいつも心洗われる気分になる。
この島を根底で支えているのは彼らであり、彼らもフォーカスを少し引いて考えると蒼い海よりも本来はもっと儚く眩しい程の島にとっての大切な宝なんだろうな
今ならまだ乗れますオート三輪。お泊まりはプライベートリゾートホテルRENNへ
2008年03月28日
Reign Over Me

深夜遅くまで屋上から南の海の上に浮かぶ月を見上げていた。
満月の明るさほどでは無いにしても、月明かりが海面に照らされ一線の光の筋となり、今日と明日を繋ぐ架け橋の役割を担ってるのか、この光を目指せば明日に辿り着くのだろうかと思ってしまう。果たして月の光は太陽に、明日を皆に約束してくれるのだろうか?
月光浴が出来そうな夜は、インギャーを中心に南海岸線沿いの道路をゆっくりと車やバイクで走らせると、蛍光色の残像を残しながら飛び交う蛍が流星の様に夜空に舞い、今では個体数の大分減ってしまったヤシガニは車や人を気にすることなくゆっくりと道を横断している。何かに出会さない日は一日も無い程夜の主役達は貴方の為に準備をしている。
今年の夏の夜の演出を、この自然・宮古島はどの様にプランニングしているのであろうか?
2008年03月25日
art of fish

水面近くをアバサーがゆらりゆらり泳いでいる。
先程まで直射日光とアスファルトからの照り返しの為か、ぬるま湯の様になってしまった海水を入れたバッカンの中で、彼はつぶらな瞳でちらちらとこっちの様子を伺い、そしてちょっととぼけた顔をして泳いでいた。
「家に、帰るか?」
そう呟きながらゆっくりと海水と一緒に海に戻すと、ずっと水面から離れようとはしない。
何をぼけているのか、また近寄って来るではないか・・・・
身体にしては小さすぎる右側のヒレだけを一生懸命に回し、よっぽどの嬉しさをアピールするかの様にひたすら左回転を繰り返し続けている。
お前がイルカなら多少絵になるかもしれないが、アバサーだからなぁ・・・・
その海のフォアグラとされる濃厚で大きな肝ほど、脳は発達しているんだろうか・・・
「お~い、いつまで回ってるんだい?お前そんなんだから、買い物袋の白いビニールの一片と引っかけ3本針だけの格安最低限だけの釣り道具で何十匹も釣られるんだぞ!」
思いが届いたのか、漸くスピンの速度が緩まり、海底へ向かって泳いで行った。
30分以上もアバサーとのくだらないやりとりの中で放置されていた水面で立ちつくしている1号ウキは、大海原に出陣していく漁船が横切る度に、押し寄せるウェイキに揺られていた。
仕掛けを回収すると餌のエビは半分程しか無くなっていた。
糖蜜にまみれたオキアミのしっぽから頭へ、ゆっくりと10号針を通していく。
それにしても暑い、日焼け止めクリームを持ってくるんだった・・・・
その時わずかにウキが沈み海面に水紋が円形状に広がっていく。針が根に触れたのか、それともまた石田純一君か・・・(餌取りの一種で何故かおじぃあの小さい魚をこう呼んでいた)
ゆっくりと糸ふけを巻き取り、ウキの先端を見つめる。
3ミリ、いや5ミリぐらいだろうかウキが沈んだ様に見えた。
そう思った瞬間に根掛かりでもいいやって思いながら力の限り3号竿を立ててみた。伝わる感触は重い。
「はぁ~また地球を釣ってしまった・・・・」
っと思った瞬間道糸が急に横に走り出す。
根掛かりではない、フッキングしたんだ。
この強い引きがもし奴なら強引にでも勝負して引き上げるしかない。少しでも躊躇しているようなら、奴は容赦なく海底へとつっこみ竿はのされ、根ずれで8号ラインを簡単にぶち切って行くだろう。
それにしても重くてリールが回らない。
目の前3㍍程の距離にウキ下6㍍ほどのタナ設定だったはずだが、こいつを抜けないのか????
幸いいつもの2号竿より、今日の3号竿の方がパワーはあった。慎重に竿を立て道糸を巻いていく。
水面下で一瞬姿をみせた白い美しい身体が反転し、また海底に突っ込んで行こうとする。
とりあえず海面に口を出して空気を吸わせておとなしくしてやろう。
次にどうやれば奴を上げられるのか、考えなくては。
こういう時の為にタモをいつも買わなくちゃと思いながら、釣具店で躊躇してしまう自分が情けない。
またいつものハリスをたぐり寄せて、口が切れないよう祈りつつそっと上げるしかないのか・・・・
5分後、全身汗まみれになりながら唇の皮一枚でどうやら上げたらしく、地面に下ろすと同時に針が口元から簡単に外れ落ちた。
それにしても姿の美しさに惚れ惚れしてしまう。
ありがとうなぁ、カーエー。
ありがとうなぁ、海。

2008年03月25日
a lost expression

車一台通れるか通れないかぐらいの細い路地裏に、吸い込まれるように迷い込んだ。
「あぁ~また行き止まりか・・・・・」
幾度となくこの言葉を一人車内で呟いたであろうか・・・・・
輪行使用の確かユーラシアとかいう軽量自転車で野宿を繰り返し、九州の隅から隅までキチガイの様に走り回った中学生は高校になると同じ2輪の火を噴く鉄の塊にまたがり、学生になればキャンバスを次はスケートボードで滑っていた。
そしてついに自動車を初めて購入し、初めてエンジンキーを回した時はまるで成人式を迎え大人の仲間入りをしたような、おかしな感覚だった。
車を何台も乗り換えても未だに右足のつま先に少し力を入れ踏み込むだけで100キロ以上のスピードで動き出すこの乗り物に、どことなく違和感を感じて続けている。
勿論不精なこの年齢になると車無しでの生活は考えられないのだが、それにしてもいつも細い路地に迷い込む。
いや、自ら自慰的感覚を元に、勝手な冒険心に火を付けて飛び込んで行くのであろう。
その冒険心のおかげで、アメリカやメキシコでは何度危ない目に遭っただろうか。
またその反対に良い想い出もある。
カンボジアやタイ・インドネシア・そしてヨーロッパでは迷い込んで抜けれなくなると、必ず誰か声をかけてくれた。
多分あの迷い込んだ路地裏にはもう2度と行けないんだろうな。
道を挟む民家はコンクリートブロックがむき出しに汚れてはいるが、でもそれはとても何処か懐かしく、そこで生活してきたモノや人達を守り続けた風格さえも力強く感じられた。
わずかな土地の四隅に植えられたフクギや椰子達は容赦ない紫外線から逃れる陰影を醸し出し、ゆらゆらと揺れている。
車をこすらないようにゆっくりとサイドミラーを右に左に確認しながら突き進むと、老人が道に錆び付いた鉄パイプで出来た丸イスに座っていた。
ほとんどアイドリング状態にスピードを緩め、ゆっくりと横を通り過ぎる。
あっおばぁ~だ。
胸には三線を抱き、黄昏色に染まり始めた路地裏の道で、しょっぱい顔をしながら未だ自分の理解できない言葉(方言)で歌っている。
そしておばぁはピックを片手に3本の弦をがむしゃらに掻き鳴らし、自分が通り過ぎた後も泣くような声でシャウトし続けていた。
それは一瞬の記憶の断片であるが、おばぁのブルースは本当の意味でブルースだった。
15年程前スーパーヘビィ級の体格を持ち合わせた大学講師だった黒人のマークは、ボクシングジムのリングサイドでAfrican Americanの歴史からブルースの定義、そしてそれを日本人である自分が歌う事の意味を延々と説いていた。
そして今彼に向かって呟いた。
「what's up bro? ここにもブルースメンがまだいるぜ」
インギャーの昼過ぎは干潮。
リーフには家族連れで潮干狩りを楽しむ人達が一杯。
少し出遅れたけどインギャーの海の恵みを沢山頂きました。やっぱりサザエはリーフエッジに集まるみたい。
宮古島でのお泊まりはプライベートリゾートホテルRENNへ
2008年03月22日
2008年03月17日
2008年03月13日
月に惹かれて

南風に吹かれながら、久しぶりに少し錆付いたバイクで海岸線を走る。
長くガレージに眠らせていた彼女は機嫌が少し斜めなのか、ギヤをシフトしアクセルをひねると少し遅れてチェーンからタイヤそしてアスファルトへと駆動が伝わり、それは最後にはシートへと不機嫌な反動がコツコツと返ってくる。
向かい風もこの時期になると優しく未だ見ぬ明日への儚い囁きと共に頬を撫でて通り過ぎる。
男は速度を落としながら両足を地面にそっと滑らせながら下ろし、ポケットからソフトボックスの煙草を取り出し箱の端を数回人差し指で叩くと、フィルターが少し顔を出したマルボロをつまみ上げた。お気に入りのターコイズブルーが埋め込まれたジッポを机に置き忘れたのに気づき急いで他のライターが無いか身体中のポケットをまさぐり始める。
ブーツカットのはき慣れたジーンズの右ポケットにターボライターが一つ見つかると、少しだけ口元を緩めながらゆっくり丁寧に着火ボタンを押し、よく肉眼では見えにくい青白い炎でねじれた煙草の先を炙ってみる。真っ白な煙が碧い空へ揺らぎながら漂い、ふっと眼下に見下ろすリーフに目を向けてみる。
「そうか、今日は大潮なのか・・・」
潮は月に惹かれ、珊瑚は既に半分ぐらい水面から顔を出し始めている。
衝動と共に気がつけば純白の珊瑚の亡骸のビーチの上に立っていた。
なんのためらいもなく水上をまるでそれは歩くように、そして色とりどりのイソギンチャク・珊瑚を踏まないようゆっくりと次のステップを確かめながら海面をリーフ際まで歩いていった。
先端に辿り着いたとき、海に咲きほこる海中の花に囲まれ、深く深呼吸をしてそっと目を閉じた。
何故か一滴の涙がこぼれ落ちる。
「ありがとう」
全ての生きとし生ける物へ、そして遠く離れた貴方へ。
お返しに心からの歌を一曲送ろう。
みんな立ち続けてくれ。
2008年03月05日
第四十五章

大成若欠、其用不弊、大盈若沖、其用不窮。大直若屈、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、静勝熱、清静為天下正
たしか老子の言葉だった記憶があるが、最近何故かふっとこれら言葉を思い出す。
最後の三行は人によって解釈の違いがありそうな感じだよね。
今回は数人の宮古島の経営者達と話をする機会に恵まれたけれど、その中である60過ぎの年配の社長が「俺に逆らえば宮古島内ではいつでも誰でも潰す事が出来る」といとも簡単に何かの拍子に自慢げに言葉にしたのは、聞いていてとても切なく悲しかった。彼の家族そして社員はどういう気持ちで彼に接し、何の因果・業を背負っているのだろうか?そして彼自身は救済を必要としているのだろうか?
また用意周到に計画してきたあるプランが悪魔の悪戯かそれとも神の救いか、ある一人の一言ですべてがひっくり返されてしまい途方にもくれていたっけ。
幸いインギャーのリーフ近くの珊瑚と魚達、そしてパルスでの有意義な時の流れが自分をリセットしてくれた。そして久しぶりに朝まで語った気がするよ。
そして一気に現実に引き戻され弱気者を守り、強気者に立ち向かう。たしかに相手が強大であればあるほど本能的にこの脳は活性化し研ぎ澄まされるのだか、上手く共存の道を選ぶことは出来ないだろうかとまた考えもするよ。それは言葉を変えれば逃避なのだろうか・・・・
自分はラブ&ピースに森羅万象を黙って全て受け入れ生きていたいだけなのに、どうしてもじっとしていられなくなる。
そんな自分は偽善者なのかはたまたピエロなのか、ただ今回は上手く戦いを避ける事だけは難しそうだなぁ。
まぁ望む夢や幸せに向かい、少しでもその具現確率が上がるように今は今出来る事を全力を尽くすしかないよね。
2007年12月25日
生命体
黒い闇はどこまでも深く、そっと目を閉じて耳を澄ませる。
両手を拡げ大気の微粒子を飽和させた肺から、ゆっくりとそしてゆっくりとスモッグに犯され続けた粘膜に浸透させながら呼吸を繰り返す。
絶命すら畏れない詩を新月に向かって虫達が歌い上げ、そのメロディに
風の音・星の瞬き・草の波音が共鳴する。
靴を脱ぎ捨て大地に挨拶のキスを素足でする。
少しずつだけど懐かしい友・家族・笑みそして歌った詩の記憶が呼び戻って来る。
全身に張り渡ったテンションがゆっくり解き放たれようとした瞬間、
突然に伝わる深閑の恐怖にまた身体を両手できしませる。
自分が特別でも何者でもない、ただ偶然を装っただけでここに存在する
生命であることに、切なさと嬉しさが混ざり合いそれでいて何とも潔い感情が一気にこみ上げてきた。
生命の詩がヒートし、沈んでいた魂をいとも簡単に浮遊させる。
願いは一つ
彼らと同じように歌いたい
そして同じように土に帰りたい
両手を拡げ大気の微粒子を飽和させた肺から、ゆっくりとそしてゆっくりとスモッグに犯され続けた粘膜に浸透させながら呼吸を繰り返す。
絶命すら畏れない詩を新月に向かって虫達が歌い上げ、そのメロディに
風の音・星の瞬き・草の波音が共鳴する。
靴を脱ぎ捨て大地に挨拶のキスを素足でする。
少しずつだけど懐かしい友・家族・笑みそして歌った詩の記憶が呼び戻って来る。
全身に張り渡ったテンションがゆっくり解き放たれようとした瞬間、
突然に伝わる深閑の恐怖にまた身体を両手できしませる。
自分が特別でも何者でもない、ただ偶然を装っただけでここに存在する
生命であることに、切なさと嬉しさが混ざり合いそれでいて何とも潔い感情が一気にこみ上げてきた。
生命の詩がヒートし、沈んでいた魂をいとも簡単に浮遊させる。
願いは一つ
彼らと同じように歌いたい
そして同じように土に帰りたい
2007年11月13日
神下ろし


島歌特有の歌い手の独特な節回し。
裏声というかファルセットの使い方は元来神との交信の手段の一つとも言われている。
先日奄美大島の歌い手、朝崎郁恵さんのピアノデュオのライブに恵比寿に言ってきた。1000年の歴史を持つと言われるおぼくり~ええうみは相変わらず生で聞くと鳥肌ものだった。
歌い手としてたくさんのアーティストとセッションしたり、ライブを経験したけど、本物と感じる人との出会う瞬間は少ない気がする。自分もまだまだ勉強が足りないと痛感。
彼女はその本物と感じた数少ない一人でライブ後たまたまホールで目が合った瞬間郁恵さんから握手の手を差し伸ばされた時は不思議だった。
宮古にいつか来て歌って頂きますかと短い質問をしただけだったけど、快く承諾して頂けていつか皆の協力の元イベント打とうと思いました。また最近情熱大陸で放送された沖縄ジャズ大御所与世山澄子さんにも協力していただけるとの事、少しでも島の音楽の活性化に貢献できれば嬉しいです。
インギャーでのお泊まりはリゾートホテルRENNへ
2007年11月03日
pulse

アニミズムとシャーマニズムの二要素の動的な複合を感じることが最近多々ある。
過去にはバリ島、オーストラリア・アボリジニ、アメリカのネイティブインディアンなどまだ若かりし学生の頃、旅先や留学先でその存在自体は感じてはいたが、最近宮古や沖縄で余計意識させられる出来事が多い。
E.B.Tylorの自然を擬人的に考え,人と同じように霊魂を持っているという分化人類学の概念は小さな島の中のさりげない日常のいたる所に散りばめられ、意識し気づき受け入れる事はまるで落ちた花びらを拾い集めて対話し、そしてその死をそっと手のひらで受け入れ「ありがとう」と囁くような儚く美しく時には残酷な真実でもある。
そして不思議とそこにはごく必然のように共時性原理が発生する。
今回もそういったSynchronicityの連続だった気がする。
後は自分がどう心のアンテナを立て、その出会い・出来事を未来に繋げていくかだろう。
今は謙虚に驕らず、感謝の念を常に持ち、そしてその感情をどう上手く人に還元し昇華できるかやってみよう。
ある年配の女性に「善と悪をしっかり心に受け入れ、そして人を計ってはいけない。貴方も私もただの人間なんだから」
って言われた時、過去の自分と向き合い「そうだな」って呟いてしまった。
さぁこの今をクリエイティブな情熱に変換して鍵盤と対話しよう
インギャでの宿はプライベートリゾートホテルレンへ
2007年11月02日
綿菓子の夏
「絶命まで鳴き続ける蝉の詩は飛行機雲の様に、遠く遠く高いあの空へ昇華していく。
ケィオスの中から産まれたアポロンとアルテミス、太陽と月、末梢神経・交感神経と中枢神経・副交感神経、電子と陽子、五臓と五腑。
水平線まで広がる大粛清の血液が滲みこんだ様なシュリムアップの真っ赤な大地、バナラシの迷宮で何処から現れたかそっと自分の手を握り帰り道を教えてくれた少年。
何もかも夢だったと思う事にしよう。ここは自分の居場所じゃない。
そうすれば今を生きられる。」
酒の席での戯言だから許してあげてと言われても、何処か全てが負けていたよ。
患者に対して、生きるべき・絶対に生きないといけない者に対して少なくても信念・尽瘁の覚悟そして何よりも貴方の本当の心意が聞きたかった。
そんな話をしている間にも恐ろしいスピードでフリーラジカルは増殖し、脳細胞は死滅していく。
そして最後には忘却・妥協という世にも恐ろしく素晴しい人間の環境適応能力が起動されてしまう。
自分をアポロンに例え、アルテミスを探し続け、手にしたモノは虚無と幻影の中で淘汰され、希望は手の届かない女の悪戯の様にこの心を一喜一憂させる。
あぁ、相変わらずの夏だなぁ・・・・・
高校2年生の補習のあった夏の日、いつもより数本早い電車に乗って登校し凛とした誰も居ない教室の中で一人大きな黒板に向かって一つ大きな溜息をつき、憤りを書き連ねた記憶がある。その頃は指導という名の体罰が普通に進学校でも行われていた。
右翼なのかヤクザなのかマル暴なのか区別すら今でも判別し難い風貌の体育教師がいて3日に一度は授業中でも何処でも顔を合わせば殴られていた。
考えられる理由は一つ、陸上部の顧問であった彼の愛弟子で当時日本記録を持っていたハードル選手のクラスメイトを体育の授業で負かしたから。表彰されたり賛辞の言葉も一切なしに気がついたら殴られていた。
結局卒業まで殴られ続けたかな。その彼の最後の言葉は「お前はピエロだ」だった。
宮古島でのお泊まりは宿 RENNへ
ケィオスの中から産まれたアポロンとアルテミス、太陽と月、末梢神経・交感神経と中枢神経・副交感神経、電子と陽子、五臓と五腑。
水平線まで広がる大粛清の血液が滲みこんだ様なシュリムアップの真っ赤な大地、バナラシの迷宮で何処から現れたかそっと自分の手を握り帰り道を教えてくれた少年。
何もかも夢だったと思う事にしよう。ここは自分の居場所じゃない。
そうすれば今を生きられる。」
酒の席での戯言だから許してあげてと言われても、何処か全てが負けていたよ。
患者に対して、生きるべき・絶対に生きないといけない者に対して少なくても信念・尽瘁の覚悟そして何よりも貴方の本当の心意が聞きたかった。
そんな話をしている間にも恐ろしいスピードでフリーラジカルは増殖し、脳細胞は死滅していく。
そして最後には忘却・妥協という世にも恐ろしく素晴しい人間の環境適応能力が起動されてしまう。
自分をアポロンに例え、アルテミスを探し続け、手にしたモノは虚無と幻影の中で淘汰され、希望は手の届かない女の悪戯の様にこの心を一喜一憂させる。
あぁ、相変わらずの夏だなぁ・・・・・
高校2年生の補習のあった夏の日、いつもより数本早い電車に乗って登校し凛とした誰も居ない教室の中で一人大きな黒板に向かって一つ大きな溜息をつき、憤りを書き連ねた記憶がある。その頃は指導という名の体罰が普通に進学校でも行われていた。
右翼なのかヤクザなのかマル暴なのか区別すら今でも判別し難い風貌の体育教師がいて3日に一度は授業中でも何処でも顔を合わせば殴られていた。
考えられる理由は一つ、陸上部の顧問であった彼の愛弟子で当時日本記録を持っていたハードル選手のクラスメイトを体育の授業で負かしたから。表彰されたり賛辞の言葉も一切なしに気がついたら殴られていた。
結局卒業まで殴られ続けたかな。その彼の最後の言葉は「お前はピエロだ」だった。
宮古島でのお泊まりは宿 RENNへ
2007年11月01日
満員電車
力を誇示し覚える優越感と劣等感を感じ打ち拉がれる弱者の立場を回避する為,人は権力・金に向かって手を伸ばそうとするよね。
10代はとにかく肉体的に強くなりたいと思ってマーシャルアーツに毎日汗を流していた事もあるけど、結局一線を越えた人間の放つ銃弾には一切抵抗も出来ず、大切なモノを守る為の自己犠牲として儚いお守りの様な事ぐらいしかないんだろうって思ったことも何度かあった。まぁ逆に肉体がぶつかり合うような争いを避ける術を学んだと思えば楽なのかもしれない。
社会的保護そして財政的な親の援助の元から飛び出して社会人として一人歩きし始めた頃は胸を夢で膨らませ明日が待ち遠しかった。人生のターニングポイントがどの地点かなんて誰にもわからないから、この瞬間からこんなふうに生きようなんて所詮無理な話だと思い走り続けようとね。
怖いのは自分で気づかない内に嘘・妥協・狡さを生きる術と正当化し、ふと鏡に映った現在の顔と自分が幼いときに思い描いてた将来の自分の理想像とを照らし合わしたときのギャップに思い苦しむ時。
同時にコンプレックスの表れかそれとも自己抑制が利かなくなったのか相手の感情そして自分自信を客観的に見られなくなり暴言を吐きまくり醜態を平気でさらす人間の多さにもびっくりするよ。他人を非難することでしか自分を守る事が出来ないのは端から見ていてとても滑稽に思えるけど、そういった人達によって虐げられる人もまた実際沢山いるんだよね。まぁきっと人間の歴史を考えるとそういった悲劇は日常茶飯事だろうから皆自分に火の粉が降りかかってこないように目を背けるのが生きる術であり得策だと思い知っているんだろうけど・・・・・
なんか最近不条理な屁理屈・愚痴・妬みの言葉ばっかり耳に届いてくる。
道を彷徨い、この街では時として満員電車の中、見ず知らずの隣の人の洋服越しに伝わる温もりでさえ儚くも、安らぎを感じるというのであろうか。
10代はとにかく肉体的に強くなりたいと思ってマーシャルアーツに毎日汗を流していた事もあるけど、結局一線を越えた人間の放つ銃弾には一切抵抗も出来ず、大切なモノを守る為の自己犠牲として儚いお守りの様な事ぐらいしかないんだろうって思ったことも何度かあった。まぁ逆に肉体がぶつかり合うような争いを避ける術を学んだと思えば楽なのかもしれない。
社会的保護そして財政的な親の援助の元から飛び出して社会人として一人歩きし始めた頃は胸を夢で膨らませ明日が待ち遠しかった。人生のターニングポイントがどの地点かなんて誰にもわからないから、この瞬間からこんなふうに生きようなんて所詮無理な話だと思い走り続けようとね。
怖いのは自分で気づかない内に嘘・妥協・狡さを生きる術と正当化し、ふと鏡に映った現在の顔と自分が幼いときに思い描いてた将来の自分の理想像とを照らし合わしたときのギャップに思い苦しむ時。
同時にコンプレックスの表れかそれとも自己抑制が利かなくなったのか相手の感情そして自分自信を客観的に見られなくなり暴言を吐きまくり醜態を平気でさらす人間の多さにもびっくりするよ。他人を非難することでしか自分を守る事が出来ないのは端から見ていてとても滑稽に思えるけど、そういった人達によって虐げられる人もまた実際沢山いるんだよね。まぁきっと人間の歴史を考えるとそういった悲劇は日常茶飯事だろうから皆自分に火の粉が降りかかってこないように目を背けるのが生きる術であり得策だと思い知っているんだろうけど・・・・・
なんか最近不条理な屁理屈・愚痴・妬みの言葉ばっかり耳に届いてくる。
道を彷徨い、この街では時として満員電車の中、見ず知らずの隣の人の洋服越しに伝わる温もりでさえ儚くも、安らぎを感じるというのであろうか。
2007年10月24日
color of heart

ねぇねぇ、最近いつ黄色い声でおもいっきり笑った??
ねぇねぇ、最近誰におもいっきりの深紅色の憤りをぶつけた??
ねぇねぇ、最近いつ雨の中、傘もささずに空色の鼻歌と歩いた??
ねぇねぇ、最近いつ大地が共鳴するぐらい鉛色の涙流した?
全ての感情は同じように大胆で切なくなるほど美しいよね
今は何色ですか??
2007年10月20日
チャイナ・シンドローム
メタ認知能力がここ最近低下しているのか、それとも臨界点に達しているのであろうか少々疲れてるなぁ。
オスカーワイルドは「老人はすべてを信じ、中年はすべてを疑い、若者はすべてを知っている。」と言っていたが自分は間違いなく既に中年だろうなぁ(笑)
8年間の長い間、共にほぼ毎日顔を合わせ誕生日も一日しか違わない同僚の送別会を昨日してきた。
彼は以前の履歴では特にキャリアも特筆すべき能力・資格も何も無かったけど、彼が昔面接を受けに来た際に「夢があるんです」って自分に話していたのを昨日のように思い出す。
そして「役者で食べて生きたいんです」ってまばたき一つせずに自分に真っ直ぐに話していた。
その頃は夢を食べて生きていけた時代というか若さ・勢いそして無茶も一杯出来たけど、ハリウッド時代から映像や役者の世界の厳しさは自分は実際狭間見ていたので、そんな特別彼がずば抜けて個性があったりはたまた容姿が美しかったりも無かったけど、何よりも素直でまっすぐな性格を気に入って採用したんだ。
実際彼の映画や舞台のオーディションや撮影の日程等ちょくちょく入る仕事のシフトを可能な限り合わせてあげて、応援してきた。
端役だけどドラマの役を貰ってきたり、胃薬のコマーシャルなどで全国区の放映でブラウン管に映っている彼の姿を見るたびに自分の事の様に嬉しかった。
まぁ残念な事に実際の仕事に関しては、こいつ重度の若年性痴呆症なのか?と真剣に疑ってしまうほど、当時と8年経った今でもあまり上手くこなせられてはなかったからフォローが大変だったかな・・・・。
そんなこんなで時は過ぎ去り、一度は怪しい事務所に捕まってしまって低迷していた時期もあって、夢を諦めようかと相談された事も何度もあった。
そんな彼に冗談半分で2年前、非営利団体で海外公演も精力的にこなしている「ク・ナウカ」という東大出身の演出家がいる劇団のオーディションを彼に勧めた。
何かの間違いかと一瞬疑ったけど彼は見事合格し、とうとう今年の秋からヨーロッパの海外公演でメインキャストとして抜擢されたんだ。
「最後のチャンスと思ってやるなら今しかない、頑張って今これに賭けて頑張ります。」って彼が職場を卒業したいと俺に言ったとき、少し不安でまた照れくさいけど格好良かったな~。
また別の件で以前日記にも書いたけど、地球温暖化政策に携わってる友人は2日前に「この3年で地球の平均気温を3度下げてみせる!」って連絡くるし、みんな頑張ってる。
自分はというと、いい加減一度リセットして黄昏よう。次は第二の故郷サンタバーバラにサーフボートの買い付けと旨いブリートを食べて建材を仕入れに行って、次はバリ島に家具の仕入れ。年末はイタリアにちょっとある勉強をしに行こうと思う。いつもバックパック一つ片手に格安ゲストハウスでのお泊りだから、故郷に帰るより格段費用は安く抑えられるから不思議だ。
でもいくら旅に出ても帰ってくる場所は一緒だから、気持ちを入れ替えてオプティミスティックに少し変わらなきゃ~。
レコーディングエンジニアの知人と偶然に会ったのも何か意味があるのかも知れないなぁ。
今夜は少しさび付いたゲージをかき鳴らしてみよう。
オスカーワイルドは「老人はすべてを信じ、中年はすべてを疑い、若者はすべてを知っている。」と言っていたが自分は間違いなく既に中年だろうなぁ(笑)
8年間の長い間、共にほぼ毎日顔を合わせ誕生日も一日しか違わない同僚の送別会を昨日してきた。
彼は以前の履歴では特にキャリアも特筆すべき能力・資格も何も無かったけど、彼が昔面接を受けに来た際に「夢があるんです」って自分に話していたのを昨日のように思い出す。
そして「役者で食べて生きたいんです」ってまばたき一つせずに自分に真っ直ぐに話していた。
その頃は夢を食べて生きていけた時代というか若さ・勢いそして無茶も一杯出来たけど、ハリウッド時代から映像や役者の世界の厳しさは自分は実際狭間見ていたので、そんな特別彼がずば抜けて個性があったりはたまた容姿が美しかったりも無かったけど、何よりも素直でまっすぐな性格を気に入って採用したんだ。
実際彼の映画や舞台のオーディションや撮影の日程等ちょくちょく入る仕事のシフトを可能な限り合わせてあげて、応援してきた。
端役だけどドラマの役を貰ってきたり、胃薬のコマーシャルなどで全国区の放映でブラウン管に映っている彼の姿を見るたびに自分の事の様に嬉しかった。
まぁ残念な事に実際の仕事に関しては、こいつ重度の若年性痴呆症なのか?と真剣に疑ってしまうほど、当時と8年経った今でもあまり上手くこなせられてはなかったからフォローが大変だったかな・・・・。
そんなこんなで時は過ぎ去り、一度は怪しい事務所に捕まってしまって低迷していた時期もあって、夢を諦めようかと相談された事も何度もあった。
そんな彼に冗談半分で2年前、非営利団体で海外公演も精力的にこなしている「ク・ナウカ」という東大出身の演出家がいる劇団のオーディションを彼に勧めた。
何かの間違いかと一瞬疑ったけど彼は見事合格し、とうとう今年の秋からヨーロッパの海外公演でメインキャストとして抜擢されたんだ。
「最後のチャンスと思ってやるなら今しかない、頑張って今これに賭けて頑張ります。」って彼が職場を卒業したいと俺に言ったとき、少し不安でまた照れくさいけど格好良かったな~。
また別の件で以前日記にも書いたけど、地球温暖化政策に携わってる友人は2日前に「この3年で地球の平均気温を3度下げてみせる!」って連絡くるし、みんな頑張ってる。
自分はというと、いい加減一度リセットして黄昏よう。次は第二の故郷サンタバーバラにサーフボートの買い付けと旨いブリートを食べて建材を仕入れに行って、次はバリ島に家具の仕入れ。年末はイタリアにちょっとある勉強をしに行こうと思う。いつもバックパック一つ片手に格安ゲストハウスでのお泊りだから、故郷に帰るより格段費用は安く抑えられるから不思議だ。
でもいくら旅に出ても帰ってくる場所は一緒だから、気持ちを入れ替えてオプティミスティックに少し変わらなきゃ~。
レコーディングエンジニアの知人と偶然に会ったのも何か意味があるのかも知れないなぁ。
今夜は少しさび付いたゲージをかき鳴らしてみよう。
2007年10月08日
song of love

今日、この時、この瞬間、新しい生命が生まれまた消えていく。
人生に於いて起こりうる全ての出来事は幻影であり形あるもの全てそして記憶ほど真実味に欠ける事はないと言い切る女は、
煙草の吸い殻やガムの噛みくずが黒く染みついた路地に向かい潤み充血した目を向けながら最後に「ごめんなさい」
と一言ため息を吐き出すようにつぶやいた。
恋愛をする度に絶望を感じ死にたいと思ったことは一度二度の話ではない・・・・・・
それでも死にきれず自分自身を売りながら故郷から離れたこの町で、自分の全ての過去と罪を受け入れて迎えてくれる男性を探し求めて雑踏の中にまた今日も消えていく。
生命を与えられた以上一人では誰しも生きてはいけない。素晴らしい恋愛の定義なんてどこにもきっと無いだろうけど、
愛されたいのなら苦しくともまた誰かを愛すれば良い。果たして自分自身が他人を愛した分だけ同じように愛され必要とされる対象になるかどうかはわからないけれど。
愛の詩を書くほど苦しい作業は俺は無い。
まだまだわからない事が多すぎるし、自分自身の弱さ狡さに勝てないでいるから。
でも歌いたいことはあるんだ・・・・・・
2007年09月27日
angel
風が仕掛けた戦争・・・・・・
頭の中で鳴り止まない瞬間はなく、幾度となく太陽と月の様に
朝靄の中で自分の体の欠けた部分を惜しみながら、方目をゆっくりと閉じてはまた開く。
あの時の強いものはまだ、拳を握り締め今この瞬間も深い鉛色のため息を吐き、一人たち続けているのだろうか?
あの時の弱いものはまだ、体を摺り寄せ現実から眼を逸らすように半開きの眼差しで見上げ、作り笑いをまた顔に着ているのだろうか?
なんて無情な世界 どうしてそこまで生きようとするのか・・・・
貴方の花弁が、この汚い手でどうか枯れませんように
けっして傷つけないよう けっして壊さないよう
それでも触れて欲しいと願う儚い生き物達よ
禁断の果実を一つ自分にも分けてくれないだろうか・・・・
宮古島での宿泊はプライベートリゾートホテルRENNへ
頭の中で鳴り止まない瞬間はなく、幾度となく太陽と月の様に
朝靄の中で自分の体の欠けた部分を惜しみながら、方目をゆっくりと閉じてはまた開く。
あの時の強いものはまだ、拳を握り締め今この瞬間も深い鉛色のため息を吐き、一人たち続けているのだろうか?
あの時の弱いものはまだ、体を摺り寄せ現実から眼を逸らすように半開きの眼差しで見上げ、作り笑いをまた顔に着ているのだろうか?
なんて無情な世界 どうしてそこまで生きようとするのか・・・・
貴方の花弁が、この汚い手でどうか枯れませんように
けっして傷つけないよう けっして壊さないよう
それでも触れて欲しいと願う儚い生き物達よ
禁断の果実を一つ自分にも分けてくれないだろうか・・・・
宮古島での宿泊はプライベートリゾートホテルRENNへ
2007年04月08日
day off
久しぶりの休みを取った。
ここ10年近く旅に出る以外は毎日何かしら生活の為に仕事をしていた。
いつもいくつかの仕事を掛け持ちしながら昼も夜も働いてた気がする。
そうして一日4時間以上眠れなくなった。
お金を貯めようとかそんな気持ちは何処にもなかった。
別にずっと貧乏で良い、根無し草でも良い、風に吹かれてただ自分らしく生きようと思っていた。アメリカから帰国し中野の友人宅に居候させてもらうため、玄関に辿り着いた時には500円玉一枚と小さなスーツケースそして夢だけが全財産だった。
ツアーコンダクター・カメラマン・家庭教師・ビリヤード賭け玉師・海外買い付け代行・ボディガード・引越し助手・絵画贋者・バーテンダー・モデル・不動産・翻訳通訳・DTP・ウェブデザイン・イベント企画・医療従事・そして歌い手・・・。
報酬を受け取らなかった仕事まで挙げるときりがないが、20代最後の日、鏡に映った自分の顔を見るとこの世で一番嫌いだった人種になっていた。
おもちゃ箱に埋もれて気がつけば高い空も見上げられなくなってた。
今度は捨てることに専念した。
30畳以上の天井が高く高層ビルを見下ろすワンルームから高度成長期・昭和を思い出させるこれまでの1/4以下の家賃のトタン屋根の平屋に引っ越した。そこは特に訪ねてくれる女性には未だかなり不評だけどまだ水洗トイレさえも備えてない。ネズミや蛇、ヤモリなど色々な小動物達にもライチとマンゴーを育てている温室に行く途中よく出会う。
ただ24時間楽器を弾いていい、どれだけ家を改造しても壊してもいいという条件で都会のコンクリートの狭間に見つけた辺鄙な基地。住む前の荒れ果てた状態の家を見た友人は一言「ここは本当に人間が住めるのか!?」って聞いてきたけど、自分で時間をかけてリフォームした。
黄昏時、海に沈む夕日で真っ赤に染まるカルフォルニアの部屋やバリ島のオーシャンフロントの部屋よりもここが居心地がよかった。
先日画家であり作家でありミュージシャンでもあるAKIRA氏と話をする機会があった。
「堂々とまちがえろ、胸をはって傷つけ!そして落ちたら大地が全てを受け止める」と明確なメッセージ彼は持っている。
メッセージを強く抱きそれを他人に向けて言葉にすることはとても恐ろしい。発したと同時にその言葉は相手の個の解釈によって一人歩きする。
でも傍観者になりすまし自分では何一つ行動せず、批判ばっかりしている人間達が多い中で、彼をとても羨ましくも思った。
自分はこれまで歌う事で自分の存在をなんとか維持し他人と繋がっていけた。でももう1年以上ステージから遠ざかってる。ある物理的な理由があって今は歌えなくなってしまったのだが、もう少しでそこから開放される。
ピアニストの友人が主催した子供向けの発表会の受付や音響の手伝いを先週してきた。自分がステージに立つ以外で手伝いをしたのは初めてだった。4歳から18歳ぐらいまでの子供の弾くピアノを8時間近くずっと舞台袖から眺めて聞いていた。あの子供達の様に純粋にまた音楽に向き合えるだろうか?
ぼちぼち旅の準備しなければいけない。
インギャでのお泊まりはprivate resort hotel rennへ
ここ10年近く旅に出る以外は毎日何かしら生活の為に仕事をしていた。
いつもいくつかの仕事を掛け持ちしながら昼も夜も働いてた気がする。
そうして一日4時間以上眠れなくなった。
お金を貯めようとかそんな気持ちは何処にもなかった。
別にずっと貧乏で良い、根無し草でも良い、風に吹かれてただ自分らしく生きようと思っていた。アメリカから帰国し中野の友人宅に居候させてもらうため、玄関に辿り着いた時には500円玉一枚と小さなスーツケースそして夢だけが全財産だった。
ツアーコンダクター・カメラマン・家庭教師・ビリヤード賭け玉師・海外買い付け代行・ボディガード・引越し助手・絵画贋者・バーテンダー・モデル・不動産・翻訳通訳・DTP・ウェブデザイン・イベント企画・医療従事・そして歌い手・・・。
報酬を受け取らなかった仕事まで挙げるときりがないが、20代最後の日、鏡に映った自分の顔を見るとこの世で一番嫌いだった人種になっていた。
おもちゃ箱に埋もれて気がつけば高い空も見上げられなくなってた。
今度は捨てることに専念した。
30畳以上の天井が高く高層ビルを見下ろすワンルームから高度成長期・昭和を思い出させるこれまでの1/4以下の家賃のトタン屋根の平屋に引っ越した。そこは特に訪ねてくれる女性には未だかなり不評だけどまだ水洗トイレさえも備えてない。ネズミや蛇、ヤモリなど色々な小動物達にもライチとマンゴーを育てている温室に行く途中よく出会う。
ただ24時間楽器を弾いていい、どれだけ家を改造しても壊してもいいという条件で都会のコンクリートの狭間に見つけた辺鄙な基地。住む前の荒れ果てた状態の家を見た友人は一言「ここは本当に人間が住めるのか!?」って聞いてきたけど、自分で時間をかけてリフォームした。
黄昏時、海に沈む夕日で真っ赤に染まるカルフォルニアの部屋やバリ島のオーシャンフロントの部屋よりもここが居心地がよかった。
先日画家であり作家でありミュージシャンでもあるAKIRA氏と話をする機会があった。
「堂々とまちがえろ、胸をはって傷つけ!そして落ちたら大地が全てを受け止める」と明確なメッセージ彼は持っている。
メッセージを強く抱きそれを他人に向けて言葉にすることはとても恐ろしい。発したと同時にその言葉は相手の個の解釈によって一人歩きする。
でも傍観者になりすまし自分では何一つ行動せず、批判ばっかりしている人間達が多い中で、彼をとても羨ましくも思った。
自分はこれまで歌う事で自分の存在をなんとか維持し他人と繋がっていけた。でももう1年以上ステージから遠ざかってる。ある物理的な理由があって今は歌えなくなってしまったのだが、もう少しでそこから開放される。
ピアニストの友人が主催した子供向けの発表会の受付や音響の手伝いを先週してきた。自分がステージに立つ以外で手伝いをしたのは初めてだった。4歳から18歳ぐらいまでの子供の弾くピアノを8時間近くずっと舞台袖から眺めて聞いていた。あの子供達の様に純粋にまた音楽に向き合えるだろうか?
ぼちぼち旅の準備しなければいけない。
インギャでのお泊まりはprivate resort hotel rennへ






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