2008年05月22日

高い月


屋上から、狂おしい程に真っ赤な満月が東から昇り、次第に優しい乳白色へと移り変わり海上で揺れ浮かんでいるのを風に吹かれながら眺めていた。
仕事後、毎晩夏に創刊号として発刊予定の媒体の編集作業に追われ、ピアノを弾く時間も少なくなり少々息切れしていた。
今週は那覇から建築業者の方が訪れ、市内からは宮古で知らない人はいないぐらい有能なシェフのご家族が訪れ、新しいレストランのオープンに向けてデザイン関係のヘルプを頼まれる。
また池間島の漁師であり水中カメラマンの船長は風が強くて海に出られないので、ひょっこりお客様を連れて遊びに来られた。
東平安名崎の人力マンからはとても貴重な観光に携わる人間の心構えみたいな話を聞かせて頂き深く感銘していた。それにしてもいつも彼と話をしていると、なんて相手を気分良くさせる人なんだろうと改めてその謙虚さや純粋さに心を動かされる。
観光で宮古に来た際には是非片道だけでも彼の引く人力車に揺られて灯台の先端まで行っていただきたい。
希にその対極にいる様なショートテンパーの方々にも当然狭い島なので出会す事もあって時に切なくなったりもするのだが・・・・

そんななか近所のオジィからまた昼過ぎに電話があり、黄昏にいつもの断崖絶壁の釣り場へ向かい二人で缶コーヒーを飲みながら釣り竿を垂れていた。
絶壁の高台からの釣りは、通常の釣り方(打ち込み・ウキ釣り)では成り立たず多分宮古では自分達だけだと思うが、残波岬で有名なアンカー釣りという特殊な釣り方を最近はしている。
自分は別に遠投竿を2本程邪魔にならないようにリーフエッジを超えた70~80メートル先の沖まで打ち込んで保険代わりに隣に立てて置いている。
夕焼け空で南海岸から望む海・空・高く切り立った岩場が真っ赤に染まり、沖電の風力発電のプロペラがゆっくりと東南方向に回り始めたその時、オジィが「竿、取れ!!」っと叫ぶ。
このわずかな飽きることのない宮古島の自然の演出にどれだけ救われているのだろうかと少し浸っていた深閑の時の中、いきなりの大声にびっくりしてオジィの顔を見ると「竿、さお~」ともう一度叫んでいる。
あっ、また自分の投げた餌を魚が突いてビクビク竿先が震えているのかと振り返った瞬間、全長5メートルの5号竿が大海原に引っ張られて海面に落ちて行くではないか。
よく竿に尻手ロープを万が一の為に付けるようにと釣り雑誌には書いてあったが、まさか我が身に突然降りかかってくるとは思っていなかった。
結局格安で買ったけどこれまで大事に使ってきた竿と新調したばかりのリールと糸は、サーフでの釣りのように追いかける事も出来ずにスローモーションの様に視界から真っ逆さまに消えていった。それをみてオジィは一人爆笑し、自分はどんな魚が銜えて持って行ったのかと想像しながら釣り上げられなくなった今、魚から上手く釣り針が外れれば良いなぁ、そしたらもう一度対戦出来るのにと思い願っていた。
結局何度か当たりがあるなか、久しぶりに手応えのあった魚とのやりとりで漸く海面に姿を現したのは4キロ前後のアカナーだった。
シガテラ毒を持つと言われる旨い魚アカナー、オジィはとりあえず食ってみろ!!っと無責任な事を言うけれど深く針を飲み込んでいるのでリリースする事も出来ない。
さぁ、この人相と目付きの悪い顔をしたアカナーをどうしたものだろうか・・・・・



宮古島での宿はプライベートリゾートホテルレンへ
  

Posted by padoma at 23:59Comments(3)TrackBack(0)独り言

2008年05月16日

speak English??


仕事の合間の空き時間に仲間達と年内に予定しているミュージックライブのロケハンに行って来た。こうやって島内を改めて探してみると未だ自分の知らない場所があるから面白い。
ミュージックコンベンションにロックフェスタと大きなイベントが続くが、それとは別に小規模でアーティストとオーディエンスの距離がより近くそして質の高い心に響く音と空間を作り出したいと切に思っている。
一通りランチを食べながらスピーカーや照明そしてステージの位置などを話していると時間はあっという間に過ぎ去り、またチェックインのお客様を迎える準備に急いで戻る。
最近どうしても一つ仕事絡みというか自身の事でストレスを感じている。
それはずっと話し使っていないせいか、はたまた老化で脳細胞が次から次へと死滅しているせいなのか、英語が話せなくなってきている。
車で島内をドライブしている際にヒッチハイクをしている西洋人を拾ってあげた時にも同じように感じていた。
閉鎖的で保守的な田舎町からとにかく飛び出したくて渡ったアメリカ、ところが中学・高校と英語の成績なんて最悪だった自分はハンバーガー一つオーダーする事も出来ずに初日は途方に暮れていた。翌日から決めた事は決して英語でコミュニケーションが出来るまで日本語を話さない事。そうやって全て字幕や日本語音声無しの全編英語の夢を見るまで3ヶ月の月日を要した。結局7年ほどアメリカで暮らしていたのだが、それから帰国して漢字や敬語の使い方をビジネス上またやり直したり、アジアのブロークン英語に慣れてしまったりすると恐ろしいスピードで英単語を失っていた。
たまにお問い合わせを頂く際に、お連れ様が海外からの方なので宿に英語を話せる方はいますか?っと質問されるときあるが、はたして「Yes!」っと自分は答えて良いのだろうか・・・
今はロシアの方が滞在されている。コミュニケーションの手段は英語のみだ。
まぁそうは言っても毎日テラスで最新のロシア情勢や現在住まわれているインドの話、そしてちょっとアダルトなガールズトークではなくボーイズトークまで貴重な情報を沢山教えて頂いている。
とにかくもう少し自身の英語をブラッシュアップしなければいけないと何度も痛感した不思議な1週間だった。
  

Posted by padoma at 22:38Comments(0)TrackBack(0)独り言

2008年05月15日

a sparkler


幼い頃、夏休みになると必ず母に連れていかれる小さな島。
片道3時間ぐらい船に揺られると、またいつもの様に母は気分を悪くして洗面器に顔を埋めている。
港からバスに乗り30分程走ると小さな集落の入り口のバス停で降り、そこからは坂道を歩いて登っていく。
丘の上に立ち、周りは背の高い山々に囲まれ、何世代もの家族を守り続けた古い木造の家屋が母が育てられた家で、たまに自分らの様に里帰りする親族が寝泊まりするぐらいで空き屋だけど、清掃などの維持はしっかりされており滞在中はそこが自分の秘密基地だった。
トイレが母屋と離れた牛小屋の隣にあるのが少し面倒だったけど、普段見慣れない虫達、山から直接引いているという真夏でもよく冷えた甘い水道水、寝床を覆う蚊帳など子供の好奇心をくすぐる材料は至る所に散りばめられ、暇を持てあます事なんて考えられなかった。
いつものようにおばぁに渡されたよく冷えたサイダーをゆっくり飲みながら縁側に座っていると、何処からともなく沢山の足音が風に連れられて聞こえてくる。。
まだ黄昏時にも拘わらず顔を深紅色に染めた顔で「よく来たなぁ~、今度はゆっくりいるのかぁ?」っとおじぃは笑いながら頭を撫でてきた。
おばぁ達は捕れたての魚を捌きながら、所々剥がれた水色のタイルで装飾されたキッチンで今日起きた出来事やうわさ話に花を咲かしている。

夜もふけてくると更に皆は上機嫌になり、普段全く飲めない母親が手にした小さなコップにはビールが入っているのが判った。そして次々におじぃやおばぁ達が歌い出し、曲がった腰のまんまで立ち上がり踊り出すのを見ていてずっとこの時間が終わらなければ良いのにと幼いながらも願い続けていた。

朝、蝉の鳴き声と真っ直ぐな太陽の日差しに起こされると挨拶回りにでも行ったのか、母屋には誰の姿も見えない。
今日もサンダルを履き丘から真っ白なビーチまでの長い道のりの冒険がはじまる。
まずは振り回したり初めて見る昆虫を触ったりするために身長より少し短いぐらいの棒を探す。
集落の中は軽自動車がぎりぎり通れるぐらいの石畳の道が迷路の様に交差しているが、ビーチまでの道は一度で覚えていた。
曲がりくねった道を降りていく途中にお寺があり、境内では地元の子供達だろうか、ラジオ体操をふざけて笑いながら身体を動かし、体操が終わると皆スタンプカードみたいな紙を和尚さんに手渡して判子を押して貰っている。
次は生協が右手に現れるはずだ。いつもの様に一番安いビニールに入っている棒状のアイスを買おう。
生協のすぐしたには小さな小学校がありその横には川が流れている。
夏休みだからなのか、校庭には太く多い茂った木々の影が映し出され、子供の姿は見えず蝉の鳴き声だけが至る所から聞こえてくる。
あとはこの川沿いをずっと5キロ程歩いていけば海にたどり着く。
海が近くなると気がつけば駆け足になっていた。
変わらない真っ白なビーチは背の高い岩肌を露出した山に囲まれ、海水は何処までも透明で色とりどりの魚達がゆっくり泳いでいた。
そこで日が暮れるまで一人で遊び、またゆっくり来た道を戻って行く。

あぁ、あの時の景色とそっくりだ・・・・・・
数日前から都内から友人が貸し切りで遊びに来ていて、少々波風は強かったけれど新城海岸に泳ぎに来ていた。
風もなかなか止まないでいると、先に来ていた海水客が一人また一人とビーチから去っていく。
自分らだけの貸し切り状態になったときに、一人波打ち際で切り立った背後の山々をゆっくり見上げていた。

「あの日の夏休みと一緒だなぁ・・・・」

新城でリーフの地図が書けるぐらい泳ぎ回った後はお隣の吉野で最後のもう一本を泳ぎ、帰路につく。
手にするのは5年以上ぶりだろうか、友人が線香花火をコンビニエンスストアで買っていたのを持ち出して来た。
テラスに腰を下ろしそっと火を付ける。

満天の星空の下、儚い光の結晶sparklerは子供の頃の夏休みの様におぼろげに消え去りながら深閑の闇に落ちていった。







宮古島の宿泊はプライベートリゾートホテルRENN


  

Posted by padoma at 22:50Comments(0)TrackBack(0)独り言

2008年05月07日

嬉しい誤算


GWにピリオドが打たれた。

ウッドデッキではブーゲンビリアが咲き続け、庭には漸く土地に馴染んだのかプルメリアの蕾が甘い香りと共に花弁を広げ、睡蓮鉢には毎日真っ直ぐに碧い空に向かい蓮が咲き続けてくれた。

早い方では前倒しで4月中旬より休みを取り来島される方もいらっしゃった。
そしてトライアスロンに続き本来のGWに突入。
この3週間程の間、いったい何人の素敵な旅人と出会ったのであろう・・・
過去に宿のコンセプトを思案している際にターゲット層の見極めに頭を悩ませていた時期があった。調度品やアメニティーは非日常を演出するために最低限にしよう。でもその最低限の数々は芸術品とまで高められた、職人やデザイナーの息吹が感じられるぐらいのモノを選び、それが一つのリゾートというテーマを担い研ぎ澄まされた空間を構築させる。
きっとターゲット層は40代から50代辺りの自分に近い年齢層だろうと思っていた。
いざ蓋を開けオープンしてみると予想外の嬉しい誤算の連続だった。
生後数ヶ月のbaby連れのご家族から20・30代の若いカップルそして50代~70代の年配のご夫婦まで素敵な方々と沢山の出会いがあった。一概に言えることは、皆それぞれ旅の仕方が本当に上手い。そして笑顔が優しい。

日々仕事に追われ疲れた日常の中、宮古島という離島のリゾートそれもこんな小さな宿に皆が求める空間・ホスピタリティー・演出とはいったいなんなのか、そしてどれも欠けることなくバランス良く旅人に行き渡らなければならない。
実際全ての旅人を100%満足出来る宿やホテルというモノはこの世界には存在しないのかもしれない。
ただそれに出来るだけ近づける努力を迎える側としては徹底して日々奮闘努力しなければならないことは判っていた。
また何もかも利便性を追求するのではなく、ほんの一握りのささやかな不便さがあった方がそこにコミュニケーションは生まれ、一対一のインタラクティブな相乗効果も狙える。
一つの例として強いてあげるならば、未だ看板すら出していないので皆必ず迷われる。
それらも含めて一片の旅の想い出としてより深く脳裏に刻まれる要素となり得る事は経験上少しは予測していたつもりだった。
反対にそんな理論上のホテルマネージメントやマーケティング論を幾ら研鑽したところで、現実はそう上手くはいかない。
旅の演出の脇役者として徹底する様に改めて自分にも言い聞かせて迎えた初めてのGWは光陰矢のごとしで今振り返ってみれば沢山の気付きや学びを運営やお客様から習得した素晴らしい機会であった。そして今また本当に皆様の記憶の断片としてしっかり刻まれる様な宿であったかとハード面及びホスピタリティーなどのソフト面を踏まえて顧みている。

嬉しい事に宮古島滞在が楽しかったとホームに戻られた方々からメールで連絡をいくつも頂き、その文面を読んでいるときは宿の主として本当に冥利に尽きる。
この経験・思い、そして皆が残していった笑顔は間違いなく館内の至る所に刻まれているであろう。

今日は久しぶり午後から仲間と集まり、宮古島の更なる活性化に一躍担おうと色々アイデアを出し合いながらミーティングをしてきた。
まずは島で新しい情報コミュニケーション手段を提供する為の媒体を制作するので、明日から自分は作業にかかる。また近々島でインディペンデント系の映画制作を島人のみの力で形にしようとする話も持ち上がってきている。
ショートフィルムの海外コンペ等に出品出来るぐらいになれば、きっと面白くなるかもしれない。
具体的な形になってきたらいち早く周りの皆には知らせよう。

とりあえず今夜は深く深く久しぶりに眠りにつこう・・・・・・・・


宮古島の宿はプライベートリゾートホテルレン  

Posted by padoma at 21:48Comments(0)TrackBack(0)独り言