› 風・月・太陽を仰いで インギャー便り › 2007年11月2007年11月13日
神下ろし


島歌特有の歌い手の独特な節回し。
裏声というかファルセットの使い方は元来神との交信の手段の一つとも言われている。
先日奄美大島の歌い手、朝崎郁恵さんのピアノデュオのライブに恵比寿に言ってきた。1000年の歴史を持つと言われるおぼくり~ええうみは相変わらず生で聞くと鳥肌ものだった。
歌い手としてたくさんのアーティストとセッションしたり、ライブを経験したけど、本物と感じる人との出会う瞬間は少ない気がする。自分もまだまだ勉強が足りないと痛感。
彼女はその本物と感じた数少ない一人でライブ後たまたまホールで目が合った瞬間郁恵さんから握手の手を差し伸ばされた時は不思議だった。
宮古にいつか来て歌って頂きますかと短い質問をしただけだったけど、快く承諾して頂けていつか皆の協力の元イベント打とうと思いました。また最近情熱大陸で放送された沖縄ジャズ大御所与世山澄子さんにも協力していただけるとの事、少しでも島の音楽の活性化に貢献できれば嬉しいです。
インギャーでのお泊まりはリゾートホテルRENNへ
2007年11月03日
pulse

アニミズムとシャーマニズムの二要素の動的な複合を感じることが最近多々ある。
過去にはバリ島、オーストラリア・アボリジニ、アメリカのネイティブインディアンなどまだ若かりし学生の頃、旅先や留学先でその存在自体は感じてはいたが、最近宮古や沖縄で余計意識させられる出来事が多い。
E.B.Tylorの自然を擬人的に考え,人と同じように霊魂を持っているという分化人類学の概念は小さな島の中のさりげない日常のいたる所に散りばめられ、意識し気づき受け入れる事はまるで落ちた花びらを拾い集めて対話し、そしてその死をそっと手のひらで受け入れ「ありがとう」と囁くような儚く美しく時には残酷な真実でもある。
そして不思議とそこにはごく必然のように共時性原理が発生する。
今回もそういったSynchronicityの連続だった気がする。
後は自分がどう心のアンテナを立て、その出会い・出来事を未来に繋げていくかだろう。
今は謙虚に驕らず、感謝の念を常に持ち、そしてその感情をどう上手く人に還元し昇華できるかやってみよう。
ある年配の女性に「善と悪をしっかり心に受け入れ、そして人を計ってはいけない。貴方も私もただの人間なんだから」
って言われた時、過去の自分と向き合い「そうだな」って呟いてしまった。
さぁこの今をクリエイティブな情熱に変換して鍵盤と対話しよう
インギャでの宿はプライベートリゾートホテルレンへ
2007年11月02日
綿菓子の夏
「絶命まで鳴き続ける蝉の詩は飛行機雲の様に、遠く遠く高いあの空へ昇華していく。
ケィオスの中から産まれたアポロンとアルテミス、太陽と月、末梢神経・交感神経と中枢神経・副交感神経、電子と陽子、五臓と五腑。
水平線まで広がる大粛清の血液が滲みこんだ様なシュリムアップの真っ赤な大地、バナラシの迷宮で何処から現れたかそっと自分の手を握り帰り道を教えてくれた少年。
何もかも夢だったと思う事にしよう。ここは自分の居場所じゃない。
そうすれば今を生きられる。」
酒の席での戯言だから許してあげてと言われても、何処か全てが負けていたよ。
患者に対して、生きるべき・絶対に生きないといけない者に対して少なくても信念・尽瘁の覚悟そして何よりも貴方の本当の心意が聞きたかった。
そんな話をしている間にも恐ろしいスピードでフリーラジカルは増殖し、脳細胞は死滅していく。
そして最後には忘却・妥協という世にも恐ろしく素晴しい人間の環境適応能力が起動されてしまう。
自分をアポロンに例え、アルテミスを探し続け、手にしたモノは虚無と幻影の中で淘汰され、希望は手の届かない女の悪戯の様にこの心を一喜一憂させる。
あぁ、相変わらずの夏だなぁ・・・・・
高校2年生の補習のあった夏の日、いつもより数本早い電車に乗って登校し凛とした誰も居ない教室の中で一人大きな黒板に向かって一つ大きな溜息をつき、憤りを書き連ねた記憶がある。その頃は指導という名の体罰が普通に進学校でも行われていた。
右翼なのかヤクザなのかマル暴なのか区別すら今でも判別し難い風貌の体育教師がいて3日に一度は授業中でも何処でも顔を合わせば殴られていた。
考えられる理由は一つ、陸上部の顧問であった彼の愛弟子で当時日本記録を持っていたハードル選手のクラスメイトを体育の授業で負かしたから。表彰されたり賛辞の言葉も一切なしに気がついたら殴られていた。
結局卒業まで殴られ続けたかな。その彼の最後の言葉は「お前はピエロだ」だった。
宮古島でのお泊まりは宿 RENNへ
ケィオスの中から産まれたアポロンとアルテミス、太陽と月、末梢神経・交感神経と中枢神経・副交感神経、電子と陽子、五臓と五腑。
水平線まで広がる大粛清の血液が滲みこんだ様なシュリムアップの真っ赤な大地、バナラシの迷宮で何処から現れたかそっと自分の手を握り帰り道を教えてくれた少年。
何もかも夢だったと思う事にしよう。ここは自分の居場所じゃない。
そうすれば今を生きられる。」
酒の席での戯言だから許してあげてと言われても、何処か全てが負けていたよ。
患者に対して、生きるべき・絶対に生きないといけない者に対して少なくても信念・尽瘁の覚悟そして何よりも貴方の本当の心意が聞きたかった。
そんな話をしている間にも恐ろしいスピードでフリーラジカルは増殖し、脳細胞は死滅していく。
そして最後には忘却・妥協という世にも恐ろしく素晴しい人間の環境適応能力が起動されてしまう。
自分をアポロンに例え、アルテミスを探し続け、手にしたモノは虚無と幻影の中で淘汰され、希望は手の届かない女の悪戯の様にこの心を一喜一憂させる。
あぁ、相変わらずの夏だなぁ・・・・・
高校2年生の補習のあった夏の日、いつもより数本早い電車に乗って登校し凛とした誰も居ない教室の中で一人大きな黒板に向かって一つ大きな溜息をつき、憤りを書き連ねた記憶がある。その頃は指導という名の体罰が普通に進学校でも行われていた。
右翼なのかヤクザなのかマル暴なのか区別すら今でも判別し難い風貌の体育教師がいて3日に一度は授業中でも何処でも顔を合わせば殴られていた。
考えられる理由は一つ、陸上部の顧問であった彼の愛弟子で当時日本記録を持っていたハードル選手のクラスメイトを体育の授業で負かしたから。表彰されたり賛辞の言葉も一切なしに気がついたら殴られていた。
結局卒業まで殴られ続けたかな。その彼の最後の言葉は「お前はピエロだ」だった。
宮古島でのお泊まりは宿 RENNへ
2007年11月01日
満員電車
力を誇示し覚える優越感と劣等感を感じ打ち拉がれる弱者の立場を回避する為,人は権力・金に向かって手を伸ばそうとするよね。
10代はとにかく肉体的に強くなりたいと思ってマーシャルアーツに毎日汗を流していた事もあるけど、結局一線を越えた人間の放つ銃弾には一切抵抗も出来ず、大切なモノを守る為の自己犠牲として儚いお守りの様な事ぐらいしかないんだろうって思ったことも何度かあった。まぁ逆に肉体がぶつかり合うような争いを避ける術を学んだと思えば楽なのかもしれない。
社会的保護そして財政的な親の援助の元から飛び出して社会人として一人歩きし始めた頃は胸を夢で膨らませ明日が待ち遠しかった。人生のターニングポイントがどの地点かなんて誰にもわからないから、この瞬間からこんなふうに生きようなんて所詮無理な話だと思い走り続けようとね。
怖いのは自分で気づかない内に嘘・妥協・狡さを生きる術と正当化し、ふと鏡に映った現在の顔と自分が幼いときに思い描いてた将来の自分の理想像とを照らし合わしたときのギャップに思い苦しむ時。
同時にコンプレックスの表れかそれとも自己抑制が利かなくなったのか相手の感情そして自分自信を客観的に見られなくなり暴言を吐きまくり醜態を平気でさらす人間の多さにもびっくりするよ。他人を非難することでしか自分を守る事が出来ないのは端から見ていてとても滑稽に思えるけど、そういった人達によって虐げられる人もまた実際沢山いるんだよね。まぁきっと人間の歴史を考えるとそういった悲劇は日常茶飯事だろうから皆自分に火の粉が降りかかってこないように目を背けるのが生きる術であり得策だと思い知っているんだろうけど・・・・・
なんか最近不条理な屁理屈・愚痴・妬みの言葉ばっかり耳に届いてくる。
道を彷徨い、この街では時として満員電車の中、見ず知らずの隣の人の洋服越しに伝わる温もりでさえ儚くも、安らぎを感じるというのであろうか。
10代はとにかく肉体的に強くなりたいと思ってマーシャルアーツに毎日汗を流していた事もあるけど、結局一線を越えた人間の放つ銃弾には一切抵抗も出来ず、大切なモノを守る為の自己犠牲として儚いお守りの様な事ぐらいしかないんだろうって思ったことも何度かあった。まぁ逆に肉体がぶつかり合うような争いを避ける術を学んだと思えば楽なのかもしれない。
社会的保護そして財政的な親の援助の元から飛び出して社会人として一人歩きし始めた頃は胸を夢で膨らませ明日が待ち遠しかった。人生のターニングポイントがどの地点かなんて誰にもわからないから、この瞬間からこんなふうに生きようなんて所詮無理な話だと思い走り続けようとね。
怖いのは自分で気づかない内に嘘・妥協・狡さを生きる術と正当化し、ふと鏡に映った現在の顔と自分が幼いときに思い描いてた将来の自分の理想像とを照らし合わしたときのギャップに思い苦しむ時。
同時にコンプレックスの表れかそれとも自己抑制が利かなくなったのか相手の感情そして自分自信を客観的に見られなくなり暴言を吐きまくり醜態を平気でさらす人間の多さにもびっくりするよ。他人を非難することでしか自分を守る事が出来ないのは端から見ていてとても滑稽に思えるけど、そういった人達によって虐げられる人もまた実際沢山いるんだよね。まぁきっと人間の歴史を考えるとそういった悲劇は日常茶飯事だろうから皆自分に火の粉が降りかかってこないように目を背けるのが生きる術であり得策だと思い知っているんだろうけど・・・・・
なんか最近不条理な屁理屈・愚痴・妬みの言葉ばっかり耳に届いてくる。
道を彷徨い、この街では時として満員電車の中、見ず知らずの隣の人の洋服越しに伝わる温もりでさえ儚くも、安らぎを感じるというのであろうか。

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