› 風・月・太陽を仰いで インギャー便り › 独り言2008年08月27日
TOKYO NO.1 SOUL SET

大型タンカーがゆっくりと水平線に沿って南下しているのをまた一人絶壁の上から眺めていた。もちろん横には打ち込み遠投竿が一つ、夕焼けに染まる高い空に向かって伸びている。突然竿が弧を描き海面へと穂先が刺さるように揺れている。
きつめに締めたドラグから道糸が凄まじいスピードで出て行く。
こ、これはでかい・・・・ 合わせを入れるために竿に手を伸ばし、道糸に手をかけ思いっきり針が刺さるように合わせを入れたら、あまりにも強い引きの為に身体が引っ張られて崖から落ちそうになった。それでも何とか耐えてみた。
まるで漫画みたいに海老反りに身体を反らして魚の引きに踏ん張って耐えていると、真後ろにジョギング姿のおばぁが立っていた。魚の大きさ、引きの強さ、崖の高さよりも、誰もいないはずの真後ろにおばぁが立っているのが何よりもびっくりした。そんなびっくりしている自分の姿を見ながらおばぁは笑いながら「驚かせてごめん、ごめん」と言いながら隣にやってくる。
おばぁは「何の魚だろうね~きっと大きいさぁ」
「そうだね、多分10キロ近くはあるアカナーとかムネアカクチビかもしれないね」
「私もこの前大物をかけたけど、足下に潜られてあげられなかったさぁ~」
おぉ~このおばぁは現役大物釣り師なのか・・・・
釣りのポイントの話から世間話までしながら糸を張り詰め耐久戦へと持ち込んだのだが、結局魚との力の戦いに敗れ、根に潜られてしまった。
昨日告知した9月21日のリリーフランキーさんのトークイベントの翌日22日の夜、TOKYO NO.1 SOUL SETのDJ川辺さんがムジカバーで宮古島を揺らします。http://www.t1ss.net/index.html
世界に誇るDJとして知られる石野卓球とのユニット”InK”の結成もあり、最近では小泉今日子のニューアルバムに参加するなど日本を代表するDJ・サウンドプロダクションとして誰もが認める彼のサウンドに一緒に酔いしれましょう。
これまた誰もが知っているであろうシークレットゲストの参加も・・・・・
ますます宮古島のミュージックシーンが面白くなっていきそう。
場所: MUSICA BAR 75-5520(問い合わせ)
時間: open/start PM 8:00
料金: ¥2000(w/1drink)
opening DJ: MIYAKO-ISLAND crew
今夜はまた蛍がパートナーを探して深い夜空の中を彷徨っている。
宮古島でのお泊まりはprivate resort hotel rennへ
2008年08月25日
リリーフランキー来島決定!!

あまりにも時の流れが早すぎて、未だ何かははっきり分からないけれど何処かに何かを置き忘れているような感覚に最近囚われてしまう。それでも島の太陽はまだまだ容赦なく大地を照りつけ、空と海は何処までも碧い。
脳裏にはゲストの方々の笑みだけがはっきりと深く刻まれている。
長らく取りかかっていたフリーパーパーが漸く仕上がった。
宮古島のミュージック&カルチャーをどんどん盛り上げていきたい、そんな思いから生まれたこの創刊号では、ミュージシャンとしてはTOKYO NO.1 SOUL SET・ハーベスタ・宮古島初のスカバンド「ディスカルズ」のインタビュー、そして映画では「ぐるりのこと」主演リリーフランキーさんからコメントを頂いた。記事は当然宮古絡みの独占インタビューなのでなんとも贅沢な創刊号だなぁって我ながら思う。またコラム欄では生粋の宮古人から移住者、遠方ではフランスのパリ在住の方まで書いて頂いた。折り込み作業が終わり次第島内の飲食店や宿などからまず配布する予定なので、見かけたら是非手にとって読んで貰えたら嬉しく思います。
また別件での告知ですが、フリーペーパーでも取り上げている本年度NO.1と噂されている映画「ぐるりのこと」の宮古島上映が度重なるシネマパニック宮古島オーナーとの打ち合わせの結果、ついに決定致しました。
そしてなんと、リリーフランキーさん自身が宮古島までわざわざ来島されトークイベントを開催致します。大都市だけで行われている華やかな映画の舞台挨拶、宮古島に住んでいるとテレビの中の遠い出来事の様にしか目に映ることはないと思いますが、それが宮古島で現実になります。日時は9月21日、シネマパニック宮古島にて上映後トークイベントを開催致します。来てくださった方々が非日常の楽しい時をご家族や恋人達と過ごし(もちろんお一人様での贅沢な時間も素敵)、リリーフランキーさんをもっともっと好きになって貰えるような楽しいイベントになるように頑張ります。なんか都会の舞台挨拶とは一味違う、スペシャルな時を一緒に過ごしましょう。もしかしたらリリーさん以外にもシークレットゲストの飛び込みがあるかも・・・・・
入場には整理券が必要となり枚数が限られていますので、また近々決まり次第詳細をお伝えいたします。
宮古島でのお泊まりはプライベートリゾートホテルRENNへ
2008年08月06日
ちびっ子days

夕焼け空を車の右側半分に浴びながら街路樹のフクギがマニラ椰子に変わっていくのを眺めていた。
燃費などは特に気にしたことはないけど、車の速度は気がつけば40キロ以下を維持しながら走っている。
小学生が下校途中なのか、制服姿で歩道から通り過ぎる車を眺め身体を車道に乗りだしている。
「このちびっこは車道を反対側に渡りたいのか・・・・」
速度を更にスローダウンして目で合図を送ると、笑いながら子供が車の前を通り過ぎて反対側の歩道へと駆け足を始めた。
ちびっ子が渡りきったのを確認しゆっくりとアクセルを踏みながら走り出そうとすると、突然ちびっ子は振り向き
「ありがとうございました!」
って声を上げながら頭を下げる。一瞬の出来事にびっくりしてしまった。
そしてまた別の日に市街地で用事を済ませ南に車を向かって走らせていると、おばぁの運転する車が脇道から停止線を越えて飛び出し、接触したのか自転車と子供が横倒しになっている現場を見た。
車の進行方向に横倒しに倒れていたが、接触はなく子供が驚いて自ら倒れたのかもしれない。
おばぁの運転する車なので法定速度内だとは思うが、どっちにせよ車道まで覆い茂った草が死角を生み測道を自転車で走っていたちびっ子に気づかなかったのだろう。
おばぁは横倒しになった子供を見て、余りにもショックだったのか未だに座席できょとんとしている。
まずは子供に怪我がないか確認するのが必要だろ?って思いながら車を自分も測道に寄せて停止する。
同じようにこの事故を目撃し心配したのか、前後数台の車も速度を落として路肩に止まろうとしていた。
そこでちびっ子はさっと立ち上がり、自転車を起こしまだ動けないおばぁに向かって
「すみませんでした~!」
って頭を深く下げている。
おばぁは子供が無事なのを確認して安心したのか漸くドアを開けて子供を気遣う仕草を始めていた。
う~~~ん、どういう教育を受ければこんなイノセントなちびっ子に育つのだろうか・・・・
釣りをしているとき、生まれて初めて「おじさん、釣れてる?」って声をかけられ、回りに人もいないしこのちびっ子がオジサンと呼んでいるのは確実に自分の事だろうと七又の絶壁のような絶望の淵に立たされたつい先日・・・・
彼も同じ様にイノセントだったんだろうなぁ。
昨日は友人達がBBQの獲物を狙いに海に行ってきたが、やはり個体数が減っているのか貝もほとんど捕れなかったみたいだ。それにしても最近泳いでいないせいか色白にこの真夏の中戻りつつある。
フリーペーパーのコラム原稿も全て集まり今週末には入稿出来るであろうか。
また来月にはタイミングさえ合えば、有名なアーティストが数名来島してくれるかもしれない。自分自身の創作活動もしっかり続けなければとスコールに打たれながら思っていた。
プライベートリゾートホテルRENNへ
2008年07月21日
innocent eyes

早くも7月の下旬である。
嬉しい事に日々沢山のゲストの方達とお会いでき、ブログ更新も遅れてしまうほどに旅の一脇役者としても楽しい時間を一緒に過ごさせて頂いている。
それにしても偶然を装った必然的な皆さまとの出会い、そしてシンクロニシティの連続には当初期待はしていたにも関わらず、こんなにも続くと心からこんな小さな宿を見つけて選んで頂いた皆さまには主としては本当に感謝の気持ちのみそれ以外に言葉は無くなってしまう。
ゲストの方の真っ白な身体が数日にして真っ赤に日焼けして、最後お帰りの際に握手をするとき子供の様な少年・少女の瞳になって戻られる。あぁ~素敵な事だなぁ。
そんな毎日の中でも空き時間そして寝る時間を削って現在仲間達と取り組んでいる宮古島のミュージック&カルチャーを盛り上げようとする活動もまた、自分にとってはまた出会いと発見の日々であり一日も早くみんなにガイドブックや無料マガジンとは違った視点からの媒体で宮古をどんどん紹介していきたいと思う。
先日はシネマパニックのオーナーと映画上映中に打ち合わせ兼ご挨拶に行き、映画館離れがどんどん進むこの時代の流れの中、だからこそあえて映画を見に行くというかつてはごく普通の日常や恋愛などの一部だった事が今となっては贅沢かつ計画的な催しとなり、それに見合った新しい映画館のステータスの構築やイベントをコラボレート出来ないかとお話を伺ってきた。チャンスがあれば近々なにか一緒にイベントを作れるかもしれない。
明日は久しぶりの一日だけのデイオフ。メンテナンス作業が終わった後には何処で黄昏に行こうか。
宮古島でのお泊まりはプライベートリゾートホテルレンへ
2008年07月15日
2008年06月22日
花の名

僕達は笑い死にするくらい、発展性も未来も無いようなくだらない会話だったけど少年の様に何の屈託もない笑みに包まれていた。
乳白色の月が太陽に照らされ、東の空からゆっくり南の空へと登っている。
南海岸そしてインギャーは淡いそんな月明かりに照らされ、水平線の彼方まで海上に一線の光の道を作り出している。
楽しい宴はあっという間に過ぎ去り、時計はもう既に新たな日を刻み始めている。
僕ら4人はオート三輪に乗り込み、海岸線を七又方面へと走らせる。
南風は優しく頬を撫で、虫達は絶命すら厭わないかの様に月、波、風と共鳴し、この夜に捧げているかのようにすら感じる。
潮汲場に着いた僕たちは、月明かりだけを頼りに断崖のエッジへと一歩ずつ足下を確かめながら歩いた。
同じ月を僕らは見上げ、僕ら4人の影は太陽に映し出されたかの様に足下から伸び、もう誰も口を開いて話そうとはしない。
後ろには風量発電の2基のプロペラがゆっくりと南向きに廻り、プロペラが風を切る音が一定のリズムを保ちながら聞こえてくる。
どれだけの時間が過ぎ去ったのだろう、未だ言葉を発せずとも皆一緒に停めてあるオート三輪へと向かう。
僕は運転席に座り、キーを差し込みイグニッションを回す。
「プル・・プルル・・・・・・」
メンテナンスを怠っていたせいか、バッテリーが上がってしまっている。
幸いここは坂が近いから、皆で押しがけしてエンジンをかけてみよう。
少し坂を後ろ向きに登らせ一斉に4人で押すと、勢いよくオート三輪は走り出し、僕は運転席に飛び乗りギヤをセカンドにシフトする。
しかしエンジンがかかる様子もなくまた同じ位置に戻ってきてしまった。
まだスピードが足りないのかもしれない。時間も深夜だし次にトライしてダメなら応援を呼ぼう。残された一番の急勾配は崖に向かった10メートル程の短いアスファルトだ。
ゆっくりと皆で方向転換をさせ、このラストチャンスに賭け合図と共にいっせいに押した。
オート三輪はスピードを徐々に上げ、残り2メートル程の所でもう一度ギヤをニュートラルからセカンドにシフトする。
それまで機嫌の悪かった彼女は夜の静けさを打ち破るように勢いよくエンジン音を響き渡らせた。
「やった~~~!」皆が一斉に子供の様に叫んだ。
さぁ梅雨も明け、2008年の夏がもう既に始まっている。
http://www.t1ss.net/blog/2008/06/20/#002049
2008年06月14日
落ちるな! 3steps to catch

仕事も終わり深夜屋上に上がり、海に向かって腰を下ろし今日の一日を顧みる。
遠い水平線の向こうには大きな船の灯りがかすかに見え隠れし、北へと追い風にのって北上しているのであろうか。
蛍の冷光が2つ、宿の敷地にゆっくりと降り立つ。
東の空では雷雲が空をゆっくりと浸食しはじめている。
それはゼウスの悪戯か、雷獣の羽ばたきの為か、稲妻がフラッシュライトの様に辺りを照らしては消え、その後3万℃にも達した空気は、膨張し真空状態となる。そして衝撃波と冷たい空気が流れ込む際の振動とによって虫達の鳴き声・波音しか聞こえない静寂を破る轟音を残す。
今はまだ頭上を覆っている今にも落ちてきそうな満天の星空を少しでも見上げていよう。
近所のオジィは最近忙しいみたいで、ここ二日ほど空き時間が2時間だけでもあると時化気味の南海岸へ一人竿を持って黄昏に行く。
自分にとって南海岸とはイムギャーを中心に西に上野ドイツ村から東へ保良までを意味するのだが、釣りに関しては七又から保良までの隆起サンゴ礁の断層海岸を意味する。
高さ30メートル前後の切り立った断崖が海へと垂直に落ち込み、その断崖の先端に腰を下ろし遠投竿を打ち込む。
高所恐怖症だった自分にとっては未だ慣れない釣り場なのだが、その恐怖よりも自然の壮大さに圧倒され自身の存在のちっぽけさを再確認してくれる今となっては必要不可欠な場所になっている。試行錯誤を何度も繰り返し根掛かりしないように仕掛けを改良し続け、釣れる潮廻りや時間帯、気圧の変化なども頭の中にインプットしてきた。
釣れそうな条件が揃うと、この断崖からの釣りには3つのステップが必要とされる。
まずは根掛かりの少ない50メートル以上先の半径3メートル程のポイントに餌を打ち込み、アタリがあれば数メートル走らせた上で確実にフッキングさせドラグを少し締める。
魚はとにかく根に突っ込んで逃げようとする。ドラグはこれ以上締めると自分の身体ごと海に持っていかれそうになるぎりぎりに合わせてある。何度かの突っ込みに耐えて漸くリーフの上まで浮かせる。
2番目のステップは30メートル程ある浅いリーフの上を足下まで魚を寄せていく。
上手く魚を浮かせリーフの上まで引き寄せると眼下にその大きな巨体を現し、何の魚なのかだいたい目視出来るようになる。ただリーフには切れ目が縦横に走っており、体力のある大きな魚は何度でもその切れ目に逃げこもうと最後の力を振り絞って抵抗する。
それも上手くかわしたら残るは最後の3番目のステップのみ。
普通ならこの時点で残すはタモで掬ってガッツポーズと行きたいところだけど、ここはそんなに甘くない。
足下まで寄せるだけでも相当に体力を消耗してロッドを持つ手、リールを巻いている右手は感覚がなくなりかけている。
足下まで寄せた魚を今度は30メートル上の絶壁頂上の釣り場まで引き上げなければならない。その際に絶壁のぎりぎりの所まで身体をせり出さなくてはならない。
それから真っ直ぐに手を伸ばし、道糸を竿からたぐり寄せ、竿は邪魔にならない場所に置く。ここからが最後の勝負だ。
海面まで伸びている道糸をゆっくりとたぐり寄せると、突然に両腕に負荷がくる。
魚が海面から少し浮いたからだ。大きな魚だと五キロ以上はたいがいあるだろう。最近は活性が良いのか片手で持てない程の魚が多くなってきた気がする。
渾身の力を振り絞って右手でゆっくり引き上げながら左手は巻き上げた糸が手から滑り落ちないようにしっかりと掴んでの繰り返し。何十回と繰り返すなか、糸が断崖に擦られているのがわかる。風速10メートル近い風が全身に打ち付け、足下で砕けた波のしぶきが数十メートル上の断崖ぎりぎりに立つこの身体までも濡らしている。
「あと数メートル、もう少しだ」っと自分に言い聞かせた瞬間ふっと道糸が切れ、呆然・放心・絶望感に襲われる・・・・・
魚に近いハリスや道糸はこれまでのファイトの中で充分過ぎるほど根やリーフに擦られて傷ついていたのであろう。そしてすぐ足下の岩によって儚くも切れてしまう。
おじぃや友人にここ最近の話をすると「落ちるなよ!魚よりも命が大切だ!」っと叱られてしまう。餌代400円、ガソリン往復500円弱、自分の命プライスレス。
判ってはいるけど、あぁ~止められないだろうなぁ・・・・・・
自らデザイン監修したサンドストーンによる両面レリーフが出来上がった。また2つの睡蓮鉢には色とりどりの熱帯睡蓮を入れて育てている。
睡蓮たちも真っ直ぐに凜と優しい花を咲かせ、共にお客様をお迎えするだろう。
宮古島のホテルはプライベートリゾートホテルレンへ
2008年06月10日
violate the border

正気と狂気、狡さと弱さ。
心のわずかな隙間が、惑乱さする未来を面憎い程に引き連れてくる。
今夜も数知れぬ命がニュースやテレビで報道されることなく、人知れず消え去っている。
人は囁く。
そんなにも苦しいのなら時には恥もプライドも捨てて、逃げればいい。
それに妥協も必要だと。堕ちたら大地が受け止め、人生いつ何時、またやり直せると。
明日の太陽を信じられなかった儚き人達は、自らの命と引き替えに何の光を手に入れたというのか?
「お前、泣いていいんだよ」
「いや、まだ、まだちゃんと生き抜いていないから間際まで涙腺を縛ってあるんだ。最期に泣き笑いするためにな。」
「泣くから笑えるんだ。泣かなければ心から笑えない」
「陰陽・清濁・天使と悪魔、確かにそうかもしれない。その時が来れば栓も吹っ飛ぶ程勝手に溢れるだろう。」
「いや、準備がそれでも必要なんだ。例えば許す事、自分を、そして人を。」
「時に利己的で欺瞞と偽善に満ちた言葉であり、また決して充足する事の無い人生を安逸し、結果的に不遇や厄難を受諾するための受動的防衛本能に回帰しているだけじゃないのか?」
「確かにその時点では能動的とは言えないかもしれないね。ただ肝心なのは受け入れ許したその後に用意されている包みなんだ。まずその包みに気付き、蓋を開く一握りの勇気が必要なだけ。」
「結局この瞬間、そして前後を照応して今を生きろという陳腐な答えなのか?」
「陳腐な答えではなく、それがこのわずかな人生の中で人間がこれまでに学んだたった一つの真実なんだ。」
「自然淘汰される場合はどうなる?」
「淘汰される瞬間までは、結局みんな一緒なんだよ。」
「心の声を聞け、そして行動しろか・・・・・・・ それだと犯罪者も聖職者も結局は何も変わらないじゃないか?」
「論点をまた外そうとしてるな。ほら、先延ばしにしている事あるだろう?それからまずは片付ければ?」
「ただやけに今夜は蒸し暑いな。」
「言い訳をしないで、さぁ。」
「最後に、一つだけ明日をこの自分に約束してくれないか?」
「この瞬間は間違いなく約束するよ」
「そう言うと思った。」
「笑っていいんだよ、今は。」
宮古島の宿はプライベートリゾートホテルRENNへ
2008年06月01日
TIPSY,TOO??

メンテナンスの為にここ2日程、屋上テラスで一人作業をしていた。
テラスでの作業は梅雨時期と言っても日が射すとさすがに照り返しも強く、時々脱水症状の為か意識が朦朧としてくる。眼下には台風の影響だろうか、イムギャーのリーフエッジに打ちつけるダブルヘッドオーバーの大きな波が、クリームソーダのアイスクリームとソーダ水の境界色の様なグラデーションを醸し出している。
とにかく今は全身が真っ赤に日焼けして動くのも痛い。
気休めにバイタミン剤を飲み、少しでもシミが残らない様にあがいてみるがもういい歳なんだからと友人達からは笑われ、う~ん・・・・この稼業はこんなにも日焼けしてしまうものだろうか?
先週末は島内がミュージックコンベンションで盛り上がっていた。
お客様も部屋に戻られ一段落したので、自分も市内へと車で向かう。
23時過ぎの西里の路地裏は、観光客や地元の若い子達がほろ酔い加減でおしゃべりをしながら練り歩き、夏祭りの様に賑わっていた。
道ばたで客引きをしている年季の入ったネェネェ達を横目に歩き、寂れた繁華街の側溝からは湿度の飽和した大気へと蒸し返すヘドロの臭気が辺り一面を漂い、その臭気から逃れるかの様に知人のライブハウスやクラブ・飲み屋をハシゴしていた。
時間が経つにつれ仲間達の人数も増えてきて、最後にはいったい何人の人数が小さなストレートグラスを片手にジン・ウォッカ・テキーラと次々にボトルを空けていったのだろうか?まっ、たまにはこんな夜もあっていいか(笑)
週が明け、3時間程の空き時間を見つけ黄昏時にカーエー狙いで久しぶりに一人久松で釣り糸を垂れる。
犬の散歩や釣り人の様子を伺いに来る久松のオジィ達と話をしている中、一匹の超特大カーエーを釣り上げた。カーエーの引きは独特で強烈に底へと突っ込んでいくので、自己最大記録となるこのカーエーとのファイトは本当に楽しかった。その後も生け簀に入れたカーエーを見に皆が集まってきて、「上等だぁ、こんな大きなゴマは見たことがない!」っとまで何人にも言われたのでついついひょっとして県記録??っとまで思ったが計ってみると県記録に4センチ足りない48センチ・2.3kgのよく太ったカーエーだった。
自宅での消費にはあまりにも大きすぎたので、半身はご近所さんに配ってくる。
さぁ、釣りはここら辺で一時中断、やらなければならないことが山積みになっている。
老体に鞭を打って、また歩き続けるとしよう。
宮古島での宿はプライベートリゾートホテルRENN
2008年05月22日
高い月

屋上から、狂おしい程に真っ赤な満月が東から昇り、次第に優しい乳白色へと移り変わり海上で揺れ浮かんでいるのを風に吹かれながら眺めていた。
仕事後、毎晩夏に創刊号として発刊予定の媒体の編集作業に追われ、ピアノを弾く時間も少なくなり少々息切れしていた。
今週は那覇から建築業者の方が訪れ、市内からは宮古で知らない人はいないぐらい有能なシェフのご家族が訪れ、新しいレストランのオープンに向けてデザイン関係のヘルプを頼まれる。
また池間島の漁師であり水中カメラマンの船長は風が強くて海に出られないので、ひょっこりお客様を連れて遊びに来られた。
東平安名崎の人力マンからはとても貴重な観光に携わる人間の心構えみたいな話を聞かせて頂き深く感銘していた。それにしてもいつも彼と話をしていると、なんて相手を気分良くさせる人なんだろうと改めてその謙虚さや純粋さに心を動かされる。
観光で宮古に来た際には是非片道だけでも彼の引く人力車に揺られて灯台の先端まで行っていただきたい。
希にその対極にいる様なショートテンパーの方々にも当然狭い島なので出会す事もあって時に切なくなったりもするのだが・・・・
そんななか近所のオジィからまた昼過ぎに電話があり、黄昏にいつもの断崖絶壁の釣り場へ向かい二人で缶コーヒーを飲みながら釣り竿を垂れていた。
絶壁の高台からの釣りは、通常の釣り方(打ち込み・ウキ釣り)では成り立たず多分宮古では自分達だけだと思うが、残波岬で有名なアンカー釣りという特殊な釣り方を最近はしている。
自分は別に遠投竿を2本程邪魔にならないようにリーフエッジを超えた70~80メートル先の沖まで打ち込んで保険代わりに隣に立てて置いている。
夕焼け空で南海岸から望む海・空・高く切り立った岩場が真っ赤に染まり、沖電の風力発電のプロペラがゆっくりと東南方向に回り始めたその時、オジィが「竿、取れ!!」っと叫ぶ。
このわずかな飽きることのない宮古島の自然の演出にどれだけ救われているのだろうかと少し浸っていた深閑の時の中、いきなりの大声にびっくりしてオジィの顔を見ると「竿、さお~」ともう一度叫んでいる。
あっ、また自分の投げた餌を魚が突いてビクビク竿先が震えているのかと振り返った瞬間、全長5メートルの5号竿が大海原に引っ張られて海面に落ちて行くではないか。
よく竿に尻手ロープを万が一の為に付けるようにと釣り雑誌には書いてあったが、まさか我が身に突然降りかかってくるとは思っていなかった。
結局格安で買ったけどこれまで大事に使ってきた竿と新調したばかりのリールと糸は、サーフでの釣りのように追いかける事も出来ずにスローモーションの様に視界から真っ逆さまに消えていった。それをみてオジィは一人爆笑し、自分はどんな魚が銜えて持って行ったのかと想像しながら釣り上げられなくなった今、魚から上手く釣り針が外れれば良いなぁ、そしたらもう一度対戦出来るのにと思い願っていた。
結局何度か当たりがあるなか、久しぶりに手応えのあった魚とのやりとりで漸く海面に姿を現したのは4キロ前後のアカナーだった。
シガテラ毒を持つと言われる旨い魚アカナー、オジィはとりあえず食ってみろ!!っと無責任な事を言うけれど深く針を飲み込んでいるのでリリースする事も出来ない。
さぁ、この人相と目付きの悪い顔をしたアカナーをどうしたものだろうか・・・・・
宮古島での宿はプライベートリゾートホテルレンへ
2008年05月16日
speak English??

仕事の合間の空き時間に仲間達と年内に予定しているミュージックライブのロケハンに行って来た。こうやって島内を改めて探してみると未だ自分の知らない場所があるから面白い。
ミュージックコンベンションにロックフェスタと大きなイベントが続くが、それとは別に小規模でアーティストとオーディエンスの距離がより近くそして質の高い心に響く音と空間を作り出したいと切に思っている。
一通りランチを食べながらスピーカーや照明そしてステージの位置などを話していると時間はあっという間に過ぎ去り、またチェックインのお客様を迎える準備に急いで戻る。
最近どうしても一つ仕事絡みというか自身の事でストレスを感じている。
それはずっと話し使っていないせいか、はたまた老化で脳細胞が次から次へと死滅しているせいなのか、英語が話せなくなってきている。
車で島内をドライブしている際にヒッチハイクをしている西洋人を拾ってあげた時にも同じように感じていた。
閉鎖的で保守的な田舎町からとにかく飛び出したくて渡ったアメリカ、ところが中学・高校と英語の成績なんて最悪だった自分はハンバーガー一つオーダーする事も出来ずに初日は途方に暮れていた。翌日から決めた事は決して英語でコミュニケーションが出来るまで日本語を話さない事。そうやって全て字幕や日本語音声無しの全編英語の夢を見るまで3ヶ月の月日を要した。結局7年ほどアメリカで暮らしていたのだが、それから帰国して漢字や敬語の使い方をビジネス上またやり直したり、アジアのブロークン英語に慣れてしまったりすると恐ろしいスピードで英単語を失っていた。
たまにお問い合わせを頂く際に、お連れ様が海外からの方なので宿に英語を話せる方はいますか?っと質問されるときあるが、はたして「Yes!」っと自分は答えて良いのだろうか・・・
今はロシアの方が滞在されている。コミュニケーションの手段は英語のみだ。
まぁそうは言っても毎日テラスで最新のロシア情勢や現在住まわれているインドの話、そしてちょっとアダルトなガールズトークではなくボーイズトークまで貴重な情報を沢山教えて頂いている。
とにかくもう少し自身の英語をブラッシュアップしなければいけないと何度も痛感した不思議な1週間だった。
2008年05月15日
a sparkler

幼い頃、夏休みになると必ず母に連れていかれる小さな島。
片道3時間ぐらい船に揺られると、またいつもの様に母は気分を悪くして洗面器に顔を埋めている。
港からバスに乗り30分程走ると小さな集落の入り口のバス停で降り、そこからは坂道を歩いて登っていく。
丘の上に立ち、周りは背の高い山々に囲まれ、何世代もの家族を守り続けた古い木造の家屋が母が育てられた家で、たまに自分らの様に里帰りする親族が寝泊まりするぐらいで空き屋だけど、清掃などの維持はしっかりされており滞在中はそこが自分の秘密基地だった。
トイレが母屋と離れた牛小屋の隣にあるのが少し面倒だったけど、普段見慣れない虫達、山から直接引いているという真夏でもよく冷えた甘い水道水、寝床を覆う蚊帳など子供の好奇心をくすぐる材料は至る所に散りばめられ、暇を持てあます事なんて考えられなかった。
いつものようにおばぁに渡されたよく冷えたサイダーをゆっくり飲みながら縁側に座っていると、何処からともなく沢山の足音が風に連れられて聞こえてくる。。
まだ黄昏時にも拘わらず顔を深紅色に染めた顔で「よく来たなぁ~、今度はゆっくりいるのかぁ?」っとおじぃは笑いながら頭を撫でてきた。
おばぁ達は捕れたての魚を捌きながら、所々剥がれた水色のタイルで装飾されたキッチンで今日起きた出来事やうわさ話に花を咲かしている。
夜もふけてくると更に皆は上機嫌になり、普段全く飲めない母親が手にした小さなコップにはビールが入っているのが判った。そして次々におじぃやおばぁ達が歌い出し、曲がった腰のまんまで立ち上がり踊り出すのを見ていてずっとこの時間が終わらなければ良いのにと幼いながらも願い続けていた。
朝、蝉の鳴き声と真っ直ぐな太陽の日差しに起こされると挨拶回りにでも行ったのか、母屋には誰の姿も見えない。
今日もサンダルを履き丘から真っ白なビーチまでの長い道のりの冒険がはじまる。
まずは振り回したり初めて見る昆虫を触ったりするために身長より少し短いぐらいの棒を探す。
集落の中は軽自動車がぎりぎり通れるぐらいの石畳の道が迷路の様に交差しているが、ビーチまでの道は一度で覚えていた。
曲がりくねった道を降りていく途中にお寺があり、境内では地元の子供達だろうか、ラジオ体操をふざけて笑いながら身体を動かし、体操が終わると皆スタンプカードみたいな紙を和尚さんに手渡して判子を押して貰っている。
次は生協が右手に現れるはずだ。いつもの様に一番安いビニールに入っている棒状のアイスを買おう。
生協のすぐしたには小さな小学校がありその横には川が流れている。
夏休みだからなのか、校庭には太く多い茂った木々の影が映し出され、子供の姿は見えず蝉の鳴き声だけが至る所から聞こえてくる。
あとはこの川沿いをずっと5キロ程歩いていけば海にたどり着く。
海が近くなると気がつけば駆け足になっていた。
変わらない真っ白なビーチは背の高い岩肌を露出した山に囲まれ、海水は何処までも透明で色とりどりの魚達がゆっくり泳いでいた。
そこで日が暮れるまで一人で遊び、またゆっくり来た道を戻って行く。
あぁ、あの時の景色とそっくりだ・・・・・・
数日前から都内から友人が貸し切りで遊びに来ていて、少々波風は強かったけれど新城海岸に泳ぎに来ていた。
風もなかなか止まないでいると、先に来ていた海水客が一人また一人とビーチから去っていく。
自分らだけの貸し切り状態になったときに、一人波打ち際で切り立った背後の山々をゆっくり見上げていた。
「あの日の夏休みと一緒だなぁ・・・・」
新城でリーフの地図が書けるぐらい泳ぎ回った後はお隣の吉野で最後のもう一本を泳ぎ、帰路につく。
手にするのは5年以上ぶりだろうか、友人が線香花火をコンビニエンスストアで買っていたのを持ち出して来た。
テラスに腰を下ろしそっと火を付ける。
満天の星空の下、儚い光の結晶sparklerは子供の頃の夏休みの様におぼろげに消え去りながら深閑の闇に落ちていった。
宮古島の宿泊はプライベートリゾートホテルRENNへ
2008年05月07日
嬉しい誤算

GWにピリオドが打たれた。
ウッドデッキではブーゲンビリアが咲き続け、庭には漸く土地に馴染んだのかプルメリアの蕾が甘い香りと共に花弁を広げ、睡蓮鉢には毎日真っ直ぐに碧い空に向かい蓮が咲き続けてくれた。
早い方では前倒しで4月中旬より休みを取り来島される方もいらっしゃった。
そしてトライアスロンに続き本来のGWに突入。
この3週間程の間、いったい何人の素敵な旅人と出会ったのであろう・・・
過去に宿のコンセプトを思案している際にターゲット層の見極めに頭を悩ませていた時期があった。調度品やアメニティーは非日常を演出するために最低限にしよう。でもその最低限の数々は芸術品とまで高められた、職人やデザイナーの息吹が感じられるぐらいのモノを選び、それが一つのリゾートというテーマを担い研ぎ澄まされた空間を構築させる。
きっとターゲット層は40代から50代辺りの自分に近い年齢層だろうと思っていた。
いざ蓋を開けオープンしてみると予想外の嬉しい誤算の連続だった。
生後数ヶ月のbaby連れのご家族から20・30代の若いカップルそして50代~70代の年配のご夫婦まで素敵な方々と沢山の出会いがあった。一概に言えることは、皆それぞれ旅の仕方が本当に上手い。そして笑顔が優しい。
日々仕事に追われ疲れた日常の中、宮古島という離島のリゾートそれもこんな小さな宿に皆が求める空間・ホスピタリティー・演出とはいったいなんなのか、そしてどれも欠けることなくバランス良く旅人に行き渡らなければならない。
実際全ての旅人を100%満足出来る宿やホテルというモノはこの世界には存在しないのかもしれない。
ただそれに出来るだけ近づける努力を迎える側としては徹底して日々奮闘努力しなければならないことは判っていた。
また何もかも利便性を追求するのではなく、ほんの一握りのささやかな不便さがあった方がそこにコミュニケーションは生まれ、一対一のインタラクティブな相乗効果も狙える。
一つの例として強いてあげるならば、未だ看板すら出していないので皆必ず迷われる。
それらも含めて一片の旅の想い出としてより深く脳裏に刻まれる要素となり得る事は経験上少しは予測していたつもりだった。
反対にそんな理論上のホテルマネージメントやマーケティング論を幾ら研鑽したところで、現実はそう上手くはいかない。
旅の演出の脇役者として徹底する様に改めて自分にも言い聞かせて迎えた初めてのGWは光陰矢のごとしで今振り返ってみれば沢山の気付きや学びを運営やお客様から習得した素晴らしい機会であった。そして今また本当に皆様の記憶の断片としてしっかり刻まれる様な宿であったかとハード面及びホスピタリティーなどのソフト面を踏まえて顧みている。
嬉しい事に宮古島滞在が楽しかったとホームに戻られた方々からメールで連絡をいくつも頂き、その文面を読んでいるときは宿の主として本当に冥利に尽きる。
この経験・思い、そして皆が残していった笑顔は間違いなく館内の至る所に刻まれているであろう。
今日は久しぶり午後から仲間と集まり、宮古島の更なる活性化に一躍担おうと色々アイデアを出し合いながらミーティングをしてきた。
まずは島で新しい情報コミュニケーション手段を提供する為の媒体を制作するので、明日から自分は作業にかかる。また近々島でインディペンデント系の映画制作を島人のみの力で形にしようとする話も持ち上がってきている。
ショートフィルムの海外コンペ等に出品出来るぐらいになれば、きっと面白くなるかもしれない。
具体的な形になってきたらいち早く周りの皆には知らせよう。
とりあえず今夜は深く深く久しぶりに眠りにつこう・・・・・・・・
宮古島の宿はプライベートリゾートホテルレンへ
2008年04月26日
Ironman

嬉しいことに日々いろんな来客がある。
将来を悩む若き青年から近所のおじぃまで、話題は尽きることなく楽しい宴は刹那に過ぎ去っていく。
ちょっと印象的だったのはトライアスロンを完走された現役アスリートの方との話。
若かりし自分は、人間は20歳を超えるとフリーラジカルは加速度を増しながら次から次へと障害を引き起こし、DNAに組み込まれた細胞分裂の極限=老いを人生の3/4以上も悪あがきしながら向き合うものだと思っていた。
そしてそれとは別な不可抗力的な死も常に隣り合わせにあるんだというのを自分は20歳の時にLAのストリートで学んだ。
そうやって言い訳しながら、何の根拠も無い「自分は未だ若いんだ」と自己暗示をかけ続けながら、目元の皺や白髪を気にして実は熟成されずに青いままなのは己の心だけだったと気づいたときには、時既に遅しなのかもしれない。
話を元に戻そう。
そのトライアスロンの選手は50代半ばぐらいでいらっしゃったのだが、やはり鉄人は違う。
全国のいろんな競技大会を廻られ、完走するのは当たり前。
宮古島トライアスロンの前日には選手仲間が集まり、半分大人の悪ふざけなのか、なんとおとーりまで回しているではないか。
う~ん、50代でこの体力とは恐るべし。
未だ自分はおとーり1週目で撃沈してしまう。
フィン無しでは身長よりも水深のある場所に行くことは、切実に死と向き合う事であり、一切スイムはだめ。
バイクは鉄の塊に跨りアクセルを回す握力は未だ残っているが、自己推進力を要する自転車なら島を1周しようとするだけでもきっと途中から意識が朦朧とし、間違いなく保良辺りでコースアウトして絶壁から落下するのではないか・・・
ランなんていつ最後に走ったのか記憶が無い。
興味深い話の一つに、競技中に前方にいる選手が用を足したくなったとき、1分1秒を争う選手達はトイレに駆け込んだりする時間も惜しむ、だから経験上事前に「来るな」って解りかわすことが出来るらしい。
最近は水分補給の際に好んでオロナミンCの様なドリンクを選ぶ選手も少なくないとか。
話を聞きながら、いつか自分も出場してみたいなぁっと思いながら聞いていたが、まずは倉庫にしまってあるベンチプレスを組み立てようかな。
素敵に歳を重ねている先輩方を見ていると、今を大切に生きなければと切実に思う今日この頃。
明日は天気も良さそうだし、モノフィンで海に溶けよう。
宮古島の宿はプライベートリゾートホテルRENNへ
2008年04月23日
birth


アスリートの応援にバイクコースと交差する坂道へ、仕事の合間に抜け出して行ってみた。
島をあげての大きなイベントなので、近所の商店も今日はシャッターを下ろして閉まっている。
颯爽と追い風に押され目の前を次から次へと通り過ぎる選手達、交通規制がかけられているにも拘わらず「わ」ナンバーの車が逆走して走っていく。
フルカーボンで選手の体型に合わせて作られたオーダーメイドのバイクは、小指で持ち上げられるぐらい軽量に出来ているそうだ。メタボが最近気になりだした知人も50万円程のそれでも中級者仕様という自転車を買っていたなぁ。
「今日は移動が難しそうだな・・・・」
そういえば今日は大潮、久しぶりにリーフエッジまで散歩しに行こう。
道具は3分で海に行けるようにいつでも準備はしている。
そして5分後にはリーフの上に立っていた。
南海岸のリーフにはそれでも沢山の人達が釣りや潮干狩りを楽しんでいた。
栄螺やタカセ貝ももう取り尽くされたのか、なかなか見つけられてないみたいだ。
逃げ遅れた魚がひっそりと人目につかないように礁池の中でたたずんでいる。
大きなヒメシャコ貝は呼吸をするかのように、ゆっくりとエメラルドグリーンとシルバーからなる外套膜をなびかせ美しかった。
潮も満ち始め、エッジで30分程シュノーケルでドリフトしていた。
潮位が上がるのを待ちきれないのか、エッジには数え切れない程の魚達が集まり、中にはお互いを突きあったりして喧嘩でもしているかの様に見える魚達もいる。
そして次の一瞬、目の前から魚がいなくなった。
「そんなに自分から殺気が出ているのだろうか・・・・・?」
確かに中には旨そうな刺身君も泳いでいるなぁと心の中では思っていた。
突然シルバーから背びれにかけて淡いブルーのグラデーションを身にまとい、弾丸の様なスピードで暴走する大きな一匹のガーラが現れ縦横無尽に捕食している。
右手には射程距離4メートル程の水中銃、もう一度目の前に現れてくれれば狙えるかもしれない。そう頭の中で思考したらすぐに海底深くフェードアウトしていった。
後は水温がかなり高くなってきているので、ゆっくりと時間をかけて海中を散策しながら浜に上がった。もうそろそろウェットも要らなくなるかもしれないけど、ラッシュガードだけは必需品だな。
そして夕方3時過ぎになるといつものおじぃから釣りの誘いの電話がかかってくる。
少々疲れていたが、とことん今日はお祭りなので遊ぼう。
夕暮れ時、東平安名崎のいつもとは違うポイントで打ち込み釣りをする。
おじぃは前回竿先を折ってしまっていたので、今日は浮き釣りに変更するみたいだ。
何度か大きなアタリはくるけど、ばらしてばっかり。ダツやウツボなど外道のオンパレード。
太陽が沈み、辺りは波の音、そして南風が吹き抜ける音だけが聞こえる。
遠くの空ではトライアスロンのゴール地点で花火でも上がっているのであろうか、空が虹色で燃えていて遠目で確認できる。
風も強くなってきたので、さぁ帰ろうかと懐中電灯を探していると自分の影が釣り場の石積みに映っている。
こんな所に外灯は無かったはずだがとゆっくりと東の空へ振り返ってみた。
雲が切れ間から大きな月が顔を覗かし始めていた。そうかフルムーンの光だったのか。
海上には光の道が真っ直ぐこちらに向かっているかのように思えた。
自宅に戻ると今朝深紅色をした美しい蓮の蕾は半分以上閉じている。
睡蓮鉢には数週間前からヤゴが生息していたのは水やりの際に気づいてはいたが、そのすぐ近くで先日エメラエルドグリーンに輝くトンボが壁に留まっていた。
とうとうこの日が来たのか。
「このなかなか生きづらい環境の中で強く生きてくれよ」って羽に触れながら話しかけてみた。
それでも飛び立とうとはしない。結局2日間玄関の壁に張り付いたままだったけど、今日漸くゆっくりと空高く飛び立っていった。
宮古島の宿はプライベートリゾートホテルRENNへ
2008年04月19日
copulation 生命

月が昇り、蛍が飛んでいた。
今年初めて見る蛍だ。
蛍光色の残像と軌跡を残し、ゆっくりと夜空に筆記体の英文でメッセージを残すかのように飛んでいった。
今年も沢山またここに訪れてくれたら嬉しいなぁ~。
蝉が鳴いていた。絶命までの残り少ない時間を、蝉は何を訴えるために鳴いているのであろうかと子供の頃から思っている。
昆虫や虫達・貝類が交尾している。
魚も産卵シーズンを迎えている。
人力マンがホラ貝を吹いている。
インギャーは潮が引き、釣り人がリーフエッジに立っている。
バリ島で自らデザインしたストーンカービングの作品が届いた。
庭で育てているプルメリアが沢山の蕾を付けている。
レリーフが装飾されたお気に入りの睡蓮鉢で育てている睡蓮が太陽に向かって蕾を伸ばしている。
黄昏色に染まる誰一人いない吉野海岸を裸足になり、お客様がはしゃいでいる姿を遠くから眺めている。
夜、日本の北国から素敵なカップルがディナーを食べに来て下さる。
楽しい宴はあっという間に過ぎ去った。
明日は島が自身と極限まで向かい合う選手達で、ヒートするのだろうか・・・・・
宮古島でのご宿泊はプライベートリゾートホテルRENNへ
2008年04月18日
power of smile

ここ1週間近く深夜に部屋に戻りソファーに腰を下ろすと同時に気を失うかの様に眠り、そのまんまの姿勢で数時間後に目覚めては仕事に戻る日々が続いていた。
不思議と意識は常にしっかり覚醒していて、程よい緊張感を維持しつつ照りつける太陽に逆らわずこの身を託そうと思って空を海を仰いでいた。
きっと気持ちの良い疲れってこんな感じなんだろうなぁって思い、どうしてだろうって考えていたら、ふっとあることに気がついた。
それはお客様とご一緒している間、仲間と一緒にいる間、村人と黄昏れている間、ずっと笑っていたからだ。
統計学的にも凄まじくわずかな確立で交差する短い人生の中の限られた人と人との運命。
未だ広告宣伝を一切行っておらず、唯一自分が手探りしながらやっと作り上げたHPを見つけ御宿泊頂いている全てのお客様達の旅の多種多様な楽しみ方や狭間見る人生のスタイルには、いつも心を動かされながら今も尚沢山の勉強をさせて頂いてる。
不思議と脳細胞が日々死滅し老いていくこの身体でも、みんなの笑顔はいつでも昨日の事の様に思い出せる。
今年に入っては海外からのお客様も増え、先日はハーフのお子様連れのご家族にご宿泊頂いた。その4歳の女の子はまるで自分の心を全て見透かされているかのように真っ直ぐな大きな瞳で話しかけ、そして無邪気に庭を走り回っている。そして日を追うごとに仲良くなると最後の夕食前の黄昏時に、二枚の絵をプレゼントされた。
シュタイナー教育で使われているクレヨンで描かれたその絵の中には、色々な生き物や自然が描かれているのだが子供にはこういう色や形で見えるのかぁ・・・って長い時間机の上で見入ってしまった。
また宮古でも地デジがはじまったらしく、テレビを見ることが日常ではほとんど無い自分だが、このご家族がインギャーで海水浴をしている際NHKのカメラマンとスタッフが大きな機材を抱えインタビューをお願いしていた。そこにたまたま自分も居合わせたのだが、
レポーター「○○ちゃんは何処から来たの~?」
○○ちゃん「にっぽん~!」
あまりの可愛さに思わず吹き出してしまった。
そして今日の夕方に漸く数時間の空きが出来たので、近所のおじさんと東平安名崎の先端灯台横の絶壁から二人並んで釣り糸を垂れる。
自分より20歳以上年上だけど、凄まじく元気で日常ネタから世界情勢の話まで尽きること無く太陽が沈み月が昇るまで話続けていた。
宮古島の宿はプライベートリゾートホテルRENNへ
2008年04月11日
ルーチンワーク

インギャーのリーフエッジ、メーター近いブダイの群れが七色に光り輝きながら円を描くように泳いでいるのをシュノーケルしながら、ただただ心を奪われ眺めていた。
海から上がると、追い込み漁で捕れた魚をお姉達がさばいている。
今回はあまり獲物のサイズは大きくなかったみたいだが、それでも新鮮な魚は旨いだろう。
よく訪れるお客様やあまり釣りをしない移住者の方からは、旨い刺身はここ宮古でも食べられるの?って聞かれるが、実際旨い魚は沢山いる。
活締めした魚は一日冷蔵庫に寝かせ、オーガニックのオリーブオイルに塩とケッパを散らせて刺身で頂く。この季節にはトマトのポン酢ジュレもまた締まった白身には相性が良い。グルクンも新鮮ならば、刺身で食べられるし、唐揚げに飽きたらアクアパッツァにして食べるとこれまたワインが進む。
インギャーの入り江の反対のリーフサイドを泳いでいると、イカの大群やタマン・イラブチャー・アーガイなどとよく出会す。
大型の魚が単独もしくはペアでゆっくりと貫禄ありげに遠くからこっちに向かって泳いでいる姿を見ると、それはまるでリングにこれから登場するファイターの様に思わず頭の中でBGMが鳴り響き心拍数も上がる。
「あ~今夜の刺身だ~」って短い銛を真っ直ぐに近づこうとしても、ぎょろっと睨みつけられていつもの様にまた素通りされてしまう。
う~ん・・・やはり5メートルの銛を自作するしかないのか・・・・
夜はオーガニック農家の方達が新しい商品開発の為の相談にやってきた。
やはり野菜を上手に育てても、販売ルートを作り出す手段はなかなか難しいとの事でどうにか彼らの力になれないか自分も頭を回転させる。まずはひと味違うラベルやパッケージデザインから考えてみよう。この先自作PCはフル稼働になりそうだ。
そして毎晩のルーチンワークとなっている映画を鑑賞する。
今年は短編でも良いから宮古島で映画を撮ろうと仲間達と話し合ったのを思い出し、何か身近で面白いスクリプトが書けないかと深夜一人アイデアを絞り出す。
懐かしの8ミリカメラとフィルムも倉庫から数台いつでも使えるように準備してある。
多分ハイビジョンカメラで撮影して、編集の際にフィルターをかけて、程よい質感を出す方が良いのかな??でも8ミリの寂寞感や映像の深さまでデジタルで表現出来るのだろうか?
まぁこの年齢になって、コーヒー一杯で映画制作の話を何時間でも時間がつぶせるなんて思いもしなかった。後はどんなに駄作であろうと、行動し皆で作り上げよう。それがきっと一番何かを作り上げる時には大事な気がする。まだ他にも地元密着型のエンターテイメントを考えているので、皆の目に付く日もそう遠くはないだろう。
最近アイデアに行き詰まった時は、苦労して運んだグランドピアノを鳴らしてみる。若かりし時は狂った様に弾いていた時もあったが、もうかれこれ5年以上も一緒にいる時間はほとんどなかった。
ただ調律は沖縄から宮古島に数ヶ月に一度来られる調律師の方にこの前して頂いた。
やはりこれからの湿気対策を今年もどう乗り切るのか、電気代がまた心配だなぁ~。
それより少しずつでもいいから、またピアノの前に座ろう。
動きの鈍いこの運指に、とてつもないストレスを抱えながらでも・・・・・
宮古島でのお泊まりはプライベートリゾートホテルRENNへ
2008年04月09日
Turbo cornutus vs human being

4/6 13:31 -5cm
4/7 14:11 -16cm
4/8 14:53 -20cm
サニツの週末、ここ南海岸は上野ドイツ村周辺からインギャーまで、海岸道路には車が縦列で長い帯を作っていた。海に目を向けるとリーフには子連れの家族、仕事の途中なのかユニフォーム姿に網袋一つ手に持つおじぃ、まるでムスリムの女性の様に全身を紫外線対策の為に完全防備してるおばぁ、エッジでひたすら大物の魚を狙う釣り人など賑やかな風景だった。
徹夜続きなので眠い目をこすりながら容赦なく照りつける太陽の光を浴びながらゆっくりと海岸線沿いを走り、何処から海に入ろうか考えていた。
サニツが近づくと、話題の中に今年はタコが少ない・さざえの当たり年だとか、もずくは何処何処のポイントが良いなどと耳にする。
皆海からの恵みを待ち遠しくしているのだろう。
近所のおじぃ曰く、さざえ捕り名人になるとそれはまるでアクティブ・ソナーやバイオセンサー・赤外線機能付き動体視力補助装置などを持ち合わせているかの如く、10メートル先のさざえも見つけられるという。
少々誇張されている話だろうなぁって思いながら、分かる方なら理解して貰えると思うが、結局きっとその名人は背がすごく小さいに違いないと勝手に結論づけてしまった。
身長182cmの自分がもしさざえ捕りをするなら両膝に高感度小型CCDカメラを付けて、その映像に何か貝類やタコなどに反応がありそうなフィルターをかけ、無線でオークリーのサングラスに転送しモニタリングしながら望むだろう。
ちょっと非現実的でSFっぽく、趣がないな・・・・・・・
だから獲物を探しに行くというよりはあの美しいリーフエッジの珊瑚の花畑に立ちたい、ひょっとしたら未だ見ぬ海のパリ(畑)に出会えるかもしれない、そんな自慰的ロマンティシズムの方が未だ強い。
普段はサーファー仲間が浮かんでいる場所も所狭しと人が獲物を探し回っている。
ちょっと今日は遠くまで歩いてみようか・・・・・
途中大潮の干潮にも拘わらず、腰まで海に浸かりながら延々と歩き続けた。
耳を澄ませば「パチッ、パチッ」っと少しずつ大気に顔を出し始めたリーフがビートを刻むかのように音を鳴らし出す。
エッジの切れ目には潮が押し寄せては引く度に、まるで呼吸でもしているかのように水面が大きく上下し原色の珊瑚が揺れている。
背中にはいつでも泳げるようにと愛用のワープフィンとシュノーケル・マスクを背負いゆっくりと一歩一歩を珊瑚を踏まないように確かめながら進んで行く。
1時間近く歩いただろうか、一心不乱に集中して歩いていたせいか振り返ればリーフの群衆は遙か遠くほとんど見えなくなっている。
流れる雲に隠れ続けていた太陽が突然姿を現し、ふっと我に返って周りを見渡した。
そこには碧色の海面に12色のクレパスでは決して表現できない色とりどりの珊瑚達が姿を現していた。
「もうこれ以上進めない・・・・・・」
美し過ぎるのだ。
珊瑚を踏まずに次の一歩を踏み出すスペースはここからはもう無い。
深く深呼吸しゆっくりと背伸びした。束の間の休憩を立ち止まったまま取ろう。
やがて潮が少しずつ満ち始め、さぁ帰ろうとしたその時足下近くのリーフの狭間に何かソフトボールの様なモノが挟まっていた。
「あっ栄螺だ。」
こんなに大きなモノはかつて見たことが無い。手を伸ばして取ろうとしてもリーフの出口が狭くて取り出せない。こいつはどうやってここに進入したのだろうか?移動も出来ずに成長してきたのだろうか・・・・?
諦めてしゃがんだ姿勢から立ち上がろうと周りを見渡した瞬間びっくりした。
立った姿勢からはまったく気づかなかったが、まるで囲まれているかのように珊瑚の裏や狭間で栄螺は身を潜めていた。
貝の好きなおばぁはもう海には入れない。
そのおばぁの為に少しだけ海の恵みを分けて貰う事にしよう。
「ありがとう」
数個だけ拾いまた延々と来た道をゆっくりと戻り始めた。
インギャでのお泊まりはプライベートリゾートホテルRENNへ
2008年04月06日
「太陽が眩しかったから」

暑い。
今日は若き宮古中小企業家達とのミーティングの予定が午後にあり、お客様の空港送迎が終わるとまだ時間が少しあったので、久しぶりに前浜港に車を向けた。
カミュの小説で描写される太陽はこんな感じなのだろうかと物思いにふけながら、汗をぬぐい車を波止場の先端に停める。
透明度も高く遠くでは小さな漁船を操り素潜り漁をおじぃがしていたのが見えた。
ビーチには家族連れや観光客がこの東洋一と言われる純白の砂浜に腰を下ろし、またある者は早くも水着一枚で浅瀬の所でゆらゆらゆられている
背後から自転車の音がした。
振り向くと地元の中学生の男女が楽しそうに会話をしながら次から次へとやってくる。
「あ~潮も既に引いてるから、今日は釣りにはならないさ~」
釣り竿をガリレオスティックの様に振り回しながら少年は海を見ながら仲間に声をかけた。
「そういう時はこれしかないだろ??」って次の瞬間少年達は波止場の先端から前転宙返りや後方宙返りをしながら海に私服のまんま飛び込んで行く。
飛び込んでは上がり、そしてまた飛び込んでの繰り返しで、ひとしきりジャンプしたら仲間同士海の中で笑いあっている。
良いなぁ、今日は水温も高く気持ちいいだろうなぁって思いながら、しばらくは子供らの黄色い歓声を聞きながら自然の音に耳を傾けまったりといていた。
しばらくしてエンジン音が前浜にそよぐ波と風の静けさを打ち消すようにけたたましく鳴り響き、ふっと我に返った。
振り返ればそこには大型のPWCが3台程浅瀬に集まっていた。
幼い頃から海の近くで育ち、高校の時はウィンドサーフィン、学生の時はCAの西海岸で朝晩と一日2回サーフィンをするほど熱狂し、ワールドツアーと称していろんな国を廻って波と戯れていた。今はモノフィンやロングフィンを使い素潜りに夢中になっている自分としては。どうしても過去に波待ちしている時や釣りをしているとき、容赦なく目の前を重量150キロ以上、全長3メートル前後の小さな乗り物が爆音を立てて時速70キロ以上のスピードで弾丸の様に目の前を通り過ぎるのを見るのが辛かった。
さすがにここ前浜ではマナーもしっかりしそんな事はないだろう。最近は事故も多発し琵琶湖の件もあるし、宮崎市消防団「水上バイク隊」のニュースはまだ新しい記憶だった。
そう思った次の瞬間、すぐそこに海水客や飛び込んで遊んでいる子供達がいるにも係わらず、アクセル全開でビーチから飛び出していく。
またある一台は浅瀬を意図的に走っているではないか・・・・・
そしてまた凄まじいスピードで戻ってくるPWCが、子供達に気づいているのかぎりぎりの所まで迫ってくるのを手に汗握ってはらはらしていた。
もし子供が貝でも拾おうと水中に潜っていたら、もしトライアスロン選手が練習の為に少し沖で目立ちにくい黒のウェットスーツを着て泳いでいたら・・・・・
それからも数台トレーラーに乗せてまた続々とやってくる。
幾ら4ストロークが主流になった今、排ガスにより水質汚染が以前の4分の1になったところで、TPOとマナーをわきまえなければ環境問題以前に必ず事故はいつか起きるであろう。観光客相手にしろ、個人の趣味にしろ、ハンドルを握っている彼らはほとんど自分と年齢が変わらない年代のおやじさん達であった。
前浜はPWCのレースも開催されている場所なので、今後とも本当に宮古にて開催が必要ならば、今は事故の無いよう心から祈るばかりである。
ミーティングも終わりあまりにも夕焼け空が綺麗なので、釣り竿一本もってインギャー近くの磯に行く。今日は打ち込みで置き竿なので、アタリを待つばかり。そのうち同じ部落のおじさんも合流するらしい。
あまりにも空が碧いので、足場の良い石灰岩の上で仰向けになりなりながら雲を見上げていた。
そういえば小学生の頃、一人で道路のベンチや学校の朝礼台・公園のネットの上など横になれるスペースがあれば何処でも仰向けになり、流れゆく雲をずっと見ていたのを思い出した。あの頃の自分は未だ、この身体の中で生き続けているのであろうか・・・・・


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